熱帯日夜夢日記 

カマンクリスナ店主のきまぐれ日記です。

 これまでの8年間、私は熱帯にいた。
現実でありながら、何故か白っぽい夢の中のような、
そして、とても人間臭いようでいて
理想の中に生きてきた。というか、生かされていた。
これからのことはわからないけど、
「こんな感じ」がこれからもずっと好きであるような気がする。

わざわざこのページを開いたあなたなら、この感じ、きっとわかるでしょう・・・?

バリのこと、踊りのこと、日本のこと、犬のこと、日々想うこと、なんでも書いていきます。
よろしかったら読んでくださいね。
*無断で画像の転写、利用は固くお断りいたします。ご了承ください。
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2005年春 去年の桜
2006年3月31日(金)
ウナのこと エピローグ -3月の無いカレンダー・新たな旅へ-

ウナが亡くなって25日間が過ぎた。
事ある毎に泣いて、外に出るのが辛かった。

花束を手に、骨だけになったウナに会いに来てくれ、
「充分やってあげたじゃない、あんなに頭のいい子だったんだから、
ウナちゃんだってきっとわかっているよ」
「あまり悲しまないように、元気出して」

と励ましてくれる人々も居る。本当に、ありがたいと思う。

だけど、私はまだこの
ウナの不在に因る悲しみを忘れないでいたい。
この辛さと悲しみの大きさが、今は私の中を占めるウナの大きさ
そのものだから。
だから出来るだけ長く泣いていたい。

泣くことが
自然と違う方法に変わるまで、泣いていても許されるんじゃないかと思っている。

ウナがまだ居る時もそうだったけど、時間が
どんどん過ぎていくのが恐ろしい気がしていた。
動物も人間もどうしてこんなにその人生は短く、辛いのだろうと思う。
犬ごときでと笑う人は笑えばいいが、ウナが死んだあと
全てに希望がないようにも見えた。

初七日からさらに1週間くらいはそういう状態が酷くなって、
自分はいわゆるウツ病なんじゃないか、
病院とかカウンセリングに行ったほうがいいんじゃないかと一瞬考えたこともある。

それでネットで
「ウツ病自己セルフチェックテスト」みたいなのを探し出して、やってみたら
「危険度:中程度。一度専門家に相談されてみることをおすすめします」
と、出た。

でもまだちゃんと生きてるし、それなり社会生活も出来ている。
食べられなくなって激ヤセすることもなかった
(むしろその逆、ウナが発病してから
過食症気味になっていた)。
それで、もちろん病院へは行かなかった。

現代の日本という国に住む住民達は、多かれ少なかれみんなウツ病なんじゃないかと思う。
(テレビで我慢するな病院へ行けと宣伝してるくらいだし)
多発するおかしな犯罪に怯え、税金が増えて年金は減り、若いうちから日々老後の心配ばかり、
希望の少ない世知辛すぎる
世情
まともに生きていこうとする人なら誰だってみんなおかしくなる。
ならばもうそれはもうただの
社会現象であって、病気とは呼べないかもしれないと思う。



以前ウナが骨肉腫という奇特とも言える病気を発病した事をある友人に話すと
彼女はこう答えた。

「あぁ、そういうのは家の中で一番弱い存在に行くらしいから・・・」

私達はその時
についての話をしていたのだ。
近年、自分を初め家族の者たちみんなツイていなくて、ウナがいることで救われていたのだ。
それなのに、
何の罪もないウナが、どうして
こんな病気になられなければならないのだろうと私は言った。

我が家は3人の頑固な老人と負け組中年1人と言うウダツの上がらない人間が4人。
そして、ウナを入れて5人という
家族構成

こんな我が家でウナだけが
ピカピカ光る希望の星みたいだった。
横暴・身勝手な父と生真面目すぎる母、
普通なら成り立たない会話も
ウナを介して笑いあったりけん制したり出来た。
多少認知しょうが始まり、耳が遠い為人と話すのが億劫になっている祖母も
頭を
かしげかしげじっと耳を澄ますウナを相手に声を出していた。

私は、いろんな厄にまみれて疲弊した心に
溜まっていく澱を(結果的に)ウナに吸収してもらっていた。
ウナの匂い嗅ぎながら、耳の後ろのふわふわのビロードの様な毛の中に顔を埋める。
真っ黒い被毛の中の、安らかで静かな闇
誰にも言えない、言わない愚痴をウナの身体の温かさやずっしりとした重みが
いつもただ、
だまって受け止めていてくれた。

我が家の中で一番偉く、
わがままに見えるウナは本当は何でも無条件に受け入れ、
我々を癒してくれていた。

そんな大変な仕事をウナは一人で請け負っていた。
無垢で、従順というよりは
ただただ家族に対する愛に満ちていた飼い犬は
そういったいろいろを請け負わざる得なかったともいえるだろう。

弱い存在に行く。友人が言ったのは
そういうことだ。

私達一家の人間がそれぞれに
悪を孕み決定的な厄が下される前に、
ウナは骨肉腫=死という形で一人で
背負い始めた。

骨肉腫は
先天性、遺伝性のあるものではなく、また生活習慣病とも言い難い。
原因がはっきりせず、大型犬に時折見られるとはいえその発症率はとても低いものだ。
それまで病気にかかったことも無く、生活にも気を配って大事に育てたウナがこんな病気になる
謂れなんていくら探しても、
そのことの他には見つからなかった。



私達の家族の中でのウナの存在の大きさ。
今のこのウナの不在はそれと同じくらいの重みと意味を
持ってしかるべきだと思った。
それでこの1ヶ月間、ずっとその意味を探していたのだ。
ウナが充分な理由も無く、あのような病気になり苦しみ、有無を言わさず逝ってしまったこと。
その大きくぽっかりと空いた、
ウナの居た穴に入るべきもの。

ウナ本人がそう言いたかったかどうかはわからないけど、この起きてしまった現象は

もういい加減、しっかりしろ

自立しろと
叱咤された、と言うことなんじゃないかと自分なりに解釈して、
そして今はその答えに揺るがない自信がある。

それしかない。
ウナばかりに頼り寄りかかって、見るべきものを見ずやるべきことを
後回しにして生きる。
そういうことをもう止めろ、しかっかりしろということなのだ。
私以外の家族がこんなことを考えたかどうかは知らないし、強要するつもりはないけど
幾つになっても人間、生きているなら
進んでいけるように努力することが必要なのだと思う。

あんなに
一人が嫌で甘えん坊だったウナは、たった一人で、大空へと新たな旅立ちを果たした。
ウナはがんばったのだ。
甘えることなく、
運命が決めた行くべきところへ行った。

ウナのいた大きな穴に入るべきとてもとても重要なものは、
それは自分で作るこれからの
私の人生そのもの、もうそれしかない。

だから私は泣きながら頑張ってみることにした。



今年の初めある友人が、
カレンダーを送ってきてくれた。
毎年恒例にしようと思っていたのに1月にバリへ行けなかった私の為に、留学当時も愛用していた
毎月違う
ヒンドゥーの神様の絵が入ったバリカレンダーだ。

2月の終わりごろから
修羅場が訪れ、時間が過ぎるのか怖くて3月になってもわざとカレンダーを
めくらずにいた。
3月5日、ウナが死んだ日に呆然とカレンダーをめくると、
あるべき3月がそこには無く、
いきなり4月になっていた。
さすがバリ製。

でもこれはきっと
「この辛い3月は無かった事にしていいよ」というメッセージなのかもと
お見舞いの電話をくれたカレンダーのその友人と
苦笑した。

でも本当は私は笑ってはいなかった。

3月は死んだように生き、そして4月からはしっかりとまた前をみて復活しろという暗示だと信じている。
この世かあの世かに神様とか目に見えないものの
が存在するなら、その何かが
信心深く、そして
呑気なバリ人にこのカレンダーを作らせ、
私を想ってくれる友人を介して
私の手元に届くように仕組んだのだ。

破壊再生。闇とランダバロン
それらが我こそ我こそと終わりのない戦いをすることで生まれるエネルギーこそが
この世界を延々とそして脈々と動かしてきたという
ヒンドゥー教の真理。



自分の考えが正しく絶対と信じられることなんて実はあまりないけど、
この25日間で泣きながら一生懸命見つけた答えは間違っていないと思う。
そうしたいろんなクルー(糸口)を得て、私は今少しすっきりとした気持ちになっている。

ウーちゃん、だから、
おねえちゃんはまた頑張るよ。
ウナが頑張って旅立ったように。




「ウナのこと」シリーズ日記はウナが骨肉腫に罹ったことの始まりから書いてきました。
もう書くことはないかもと言ったけれど、やはり撤回。

私の中で生きるウナは、いまでもやはりとてもウナらしく、なかなかの頑固者です。



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