熱帯日夜夢日記

 愛犬(ロットワイラー)の骨肉腫についての経過・体験談をまとめました。

 「ウナのこと」シリーズ日記では愛犬ウナの罹った骨肉腫という病について経過を記しています。下から順にお読みください。

*無断で画像の転写、利用は固くお断りいたします。ご了承ください。
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Una(ウナ) ロットワイラー 雌 2000年1月5日生まれ 6歳2ヶ月
2006319日(土)
ウナのこと-「ありがとう」-

 
日記を更新しようとして、こうして何度ソフトを立ち上げたかわからない。
時折書いてきたこの
日記とは別に、毎日のウナの状態や治療、薬、家族の様子を記録してきたが、
前回までの日記を書くのには、そういったものを改めて参照することはなかった。
この7ヶ月間、私の頭の中はいつも
ウナのことだけだったのだから、
書き始めれば
記憶は自動的に再生されて、指がただそれをタイピングしていくだけのことだった。
でも、今回は違う。
身体と頭が書くことを
拒否しているみたいだ。
書こうとするたび
その数日間の記憶がとんでいるのに気付く。

今日はここから先を、ウナのことをちゃんと書けるだろうか。
でも、やはりウナや自分自身、支えてくれた周りのいろんな人の為に書いてしまわなければ、と思う。

前回日記を書いた2月26日、それから
2月一杯の28日まで、
ウナの状態はいつかのようないっときも座って(伏せ)居られないような最悪の状態ではなかった。
状態は
3月1日未明から徐々に変化した。その日私が朝起きると母は昨晩一睡もしてないと言う。
呼吸が再び酷く苦しい状態になった。肺を膨らませにくい姿勢、横になることはもってのほか、
伏せの姿勢も3分と保てず、腫瘍だらけの3本足で立ち尽くして夜を明かしたのだ。
それが
終わりの始まりだった。

それ以降ウナは昼夜問わず、
続けて15分以上眠ることが出来なくなった。
3月2日、先生に電話する。
「ステロイドの量をもう一度増やしましょう。2錠、変化がなければさらに増やしてください。
それでだめならかなり厳しいです。一度・・・・、ご家族の方で話し合われたほうがいいかと思います」

いったん1.5錠まで量の下がっていたステロイドを半錠追加して計2錠、飲ませる。

電話を切って、私は
最後の通院の時に移動の車の中で必要となる携帯用酸素ボンベを手配した。
本音を言うなら何故いつも自分ばかりがこんな嫌な役割りを、と思う。
でもそれも全てはウナの為だと思う。

ステロイドを増やしても状態はさほど改善せれず、
その晩から私と母は
2時間ずつ交代で眠りウナを看た。
もちろん今までどおり
24時間ウナを一人にすることはなかった

部屋を温かくしていると
体温が上がり消耗が激しくなるからか、
3月とはいえまだかなり寒い部屋の外、ウナは廊下へ出ようとする。
全ての暖房を切った。冷たい板張りの廊下、新鮮な空気を求める為に開け放した窓、
家の中とは思えないほど
極寒の中、私と母は真冬の防寒着とニットの帽子、
手袋のフル装備でウナを支えた。

酸素が取り込めない為に、きっと全力疾走した後のように末端は痺れ、
腫瘍だらけのボロボロの身体で一日の大半を立ち尽くして過ごすことがどれほど辛い事か、
ウナ本人以外にわかるだろうか。
ずっと付いてきた私にもきっとほんとの所は分からないだろうと思う。
それでも
ウナは決して弱音を吐かず、鳴いたりせず、本当に、実に我慢強かった
苦しいながら自分が
家族の真ん中に居て、我々と共にいることを楽しんでいるようにさえみえる。

ウナはいつだって
自我がとてもはっきりしている。
いわゆる従順なだけのおりこうさんではない。いつ何がしたいか、今は何が食べたいか、
誰が何を言ってるか、それを聞いて自分はどうするかなど、
その意志はいつも
とてもはっきりしている。
犬は喜・怒・楽の3種類程度の感情表現ができると言われているが、ウナの場合は喜怒哀楽、
それ以上の
微妙な感情を持ち、それを表現する術を知っている。
何十種類もの人やおもちゃや食べ物の名前を即座に覚え、識別し、遠い昔の記憶まで全て覚えている。
自分の犬だからと言うことを差し引いても、ウナは犬以上、
人間の小学校低学年未満の知能があると思う。

だから私にはウナがずっと我々とともに居ることを望んでいるとわかった。はっきりしている。
普段はやんちゃで文句たれのウナは、病気のことではまったく文句を言わず、
これまでも
辛い治療を甘んじて受け、
食べれなくなっているのに頑張って食べる、
お風呂場におしっこに行くのにも息が切れて途中で倒れるのに部屋の中で粗相することもなかった。
こんなに辛い身体の状態の中でも我々と居たいという願いから、
ウナは
凛とした意志の強さを発していた。

でもきっと、この強い
意志をも超える肉体の限界は、もうすぐそこに来ている。

立ち尽くして疲れると、少しの間だけ伏せの姿勢になってくれる。
横から抱えているのでそのまま私の膝の上に上半身をおろして、少し身体は反った状態になる。
正座した膝に上半身を乗せて片手で身体を抱え、片手は首から上を支える。
軌道を確保して呼吸を少しでも楽にするためだ。
私も一緒にウトウトとしたかしないか、また苦しくなって立ち上がろうとする。
よろよろと立ち上がるのを手伝い、再び脚へかかる体重の分散と体力の
消耗を抑えるため
ウナの身体の側面から前足の前後の胸の周辺を下から持ち上げるように腕を差し入れて支える。
まだかなり重たい。けど、この
重みがまだウナがここに居る証拠でもあるのだ。

立ち尽くすウナの身体を私が支え、折れそうになる私の心をウナが支えた。
そうして共に寄り添って支えあって苦しい苦しい夜を明かす。
それでも夜が長いとは思わなかった。

3月4日
母が子供のように泣いている。
「ウーちゃん、もうだめだよ、ほんとにもう可哀想だよ、これ以上は可哀想だよ・・・・」
4錠まで増やしたステロイドはもうまったく効かない。
ウナはもうずっと全身で荒い呼吸をし、ほとんど寝ていない。
ウナは眼だけで私を見ている。
ウナはどうして欲しい?そう、聞きたかった、なぜウナは話せないの。
こんなに頭が良くて、やんちゃで天邪鬼でイタズラの天才で、
一生かかって抱きしめても足りないほど愛らしいウナ。
返事をしてよ・・・・ウナ。

母の訴えに、あれだけ
「人間のエゴで苦しめてはだめだ」と言ってきた父が尻込みする。
いつもはっきりとしているのに、決断を濁している。
でも、結局これが
眠れない最後の夜となった。

3月5日
「お父さん、決めたって」と母。
私はもう一言も、何も言うことができない。やれるだけのことは全てやったかもしれない。
ウナも本当にその力以上に良く頑張ってくれた。
長いこと我慢させた
これ以上、辛い状況のウナをここに留めるわけには行かないのだろう。

ウナをほんとによく可愛がり、しばしば見舞いに来てくれていた
兄が車を出してくれるという。
父と、母と、私と、ウナ。酸素ボンベと
白い布を持っていく。
兄のお嫁さんは祖母を見るために家に残ってくれた。
「行ってきますと家を出て、また後でみんなで家に帰ってくるのだというつもりで出発しよう」
そう話し合った。

兄は怒ったように押し黙り、女達はみんな泣いている。

見送る祖母たちに
「行ってきます」と告げて出発した。

これまでで最も最悪の状態のウナには、借りてきた携帯用酸素ボンベの流量が充分でなく、
ウナは車の中で
チアノーゼを起こすほど苦しくなってしまった。
なんとかぎりぎりで病院に着くと、すぐに用意してもらっていた流量が大きく出る酸素ボンベで吸入し、
ウナの状態は少し改善する。

あらかじめ連絡しておいた先生は、
私たちの決断についてもう何も言わなかった。
段取りだけ説明する。「点滴の針で(薬液を)注入します。とりあえずその針を後ろ足の静脈に入れて
それからゆっくりとウナちゃんとお別れしてください」

そして心の準備が出来たら呼んでください、と仰られて私たちの居る個室から出て行かれた。

父はもうこの状況に耐えきれないのか、早く先生を呼べという。
私と母はもっとゆっくりウナと話したかった。
でも
他の患者への影響を考えて昼休みの病院に来ている都合もある。
それにウナと一緒にいたいという気持ちに、何がどう変わっても
終わりがくることはないだろう。

先生を呼んで
「お願いします」と言った。
いけないと思いつつ私は朝から泣き続けていた、ウナに泣き顔はもう見せないと誓って以後
今日始めて泣いている。

先生が最後の薬液を準備するまでの間、膝に抱いているウナと話を続ける。
ウナの正面には母、その横に父。

「ウナ、いっぱいいっぱいおりこうしたね、ありがとうね、楽しかったね、大丈夫だよ、大丈夫、
これが終わったらおうちに帰るよ、もう苦しくないからね、苦しくないよ」

母は叫び続けている。
話しかけられることが大好きなウナは
眼を開けてしっかりと聞いている。

先生が
「では、薬液をいれます」と言う。
母が
「ウーちゃんチューしよ、チューして!」と叫ぶ。

これまで、ありがとチュー、ごめんねチュー、いってらっしゃいチュー、このいろんなチューは
ウナとの
挨拶、コミュニケーションの一つの手段だった。
何にもな無いときでも
「ウーちゃん、チューは?」と言ってウナに顔を近づけると
ペロッと口のあたりを舐めてくれた。

そんないろんなチューは、ウナの呼吸が苦しくなってからあまりしなくなっていたのだけど、
この最後の瞬間に、ウナは
しっかりとしたチューをしてくれた。
「ペロッ、ペロッ」
私にも、父にも、一人づつにしっかりとチューをしてくれた。
ありがとう、さようなら、ゴメンね、また会おうね、一緒に帰りたい、愛している、
色鮮やかな全ての感情と意味が込められたウナの最後のチューだった。


私は「ウーちゃん!ありがとう!ありがとう!ほんとにいっぱいありがとう!」
もうそれしか言えなかった。私の気持ちはウナへの感謝の気持ちだけになった。
ウナが生まれたこと、この家の子になったこと、私への信頼、友情、反抗、愛、
そしてこの闘病生活から得たもの
全てに対して。

私の腕の中でウナはゆっくりと眼を閉じて、呼吸が、そして鼓動はゆっくりとゆっくりと、小さくなり
そして
全てが止まった

「ウナ・・・・・・!」





先生や看護士さん達、その時病院に居たすべてのスタッフが総出でウナと我々を見送ってくれた。
先生は
「ウナちゃんも、そしてご家族もほんとうに良く頑張りましたよ」
私の肩に手をかけて、また何かあったらなんでも話してください、と言ってくれた。
私は深ぶかと帽子を被ったままで、ただただ頭を下げた。
車に乗ろうと2、3歩歩いてみてよろけた。
浮遊感が自分ではないみたいだった。

3月6日
朝日の中でウナはスヤスヤと眠っているようだ。
父の意向で「ちゃんとしたい」と、動物用の葬儀場で
葬儀と火葬を行うことにした。


もう、骨になったウナ。
人間が使うものと同様のサイズの骨壷に収まって今は家に居る。
初七日までずっとお線香とろうそくの火を灯し続けた。

最近私は時折
記憶がとぶ。
気が付くと
「あれ、ウナはどこに行っちゃったのだろうか」と考えている。
玄関の上がりかまち、階段の踊り場、扉の敷居の上。
私の帰りを待っていたウナの
面影がそこここに散っている。
でも
ウナは家のどこにも居なかった
それで初めて、ああ、そうか・・・と思い出す。ウナの骨肉腫、断脚、抗がん治療、肺、全身転移・・・
この半年の闘病生活のひとつひとつ。

普通に会社に行って仕事をし、テレビのお笑い番組に笑うことだってできるけど、
なんか、全身に
スッポリと透明の袋を被って歩いているみたいに世間とは隔絶している。
世の中が、人々の笑う様子が
白っぽく映る。
私の心は寄りかかれるものがなくなって、だから、夜になると自室で声を上げて泣いてしまう。
どんなに辛くてもウナが生きていた時はこんな虚無感は無かった。

「そうか、ウナはもう居ないのか」
そしてウナはほんとに楽になったのだろうか、
あの時のチューは
「置いていかないで」の必死の御願いのチューじゃなかったか。
私たちの選択はほんとに間違ってなかったろうか。
繰り返し繰り返し考えている。
だけど、何度考えても答えは出ない。

いかなる理由であれ、生きている者に終わりを与えていいものか
私はやはりそれは
以外の何者でもないと思う。

でも全てはウナの為に決めた。その時その時、一生懸命にウナと向き合ったつもりだ。
ウナも無い力を振り絞って懸命に、私たちの希望に応えて頑張った。

最期まで「ウナのまま」で居てくれた。
だから、
ウナの為に背負う罪なら私は甘んじて受けようと思う。
頭の中にあるウナの全ての映像と共に大切にしていく。





*「ウナのこと」のシリーズ日記は、ウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いてきました。
ウナが亡くなって、もう書くことがないかもしれない。

けど、今実際まだ混乱していて、今回の日記で自分の言いたいこと、伝えたいこと、
伝えるべきことが全部出せたかどうかわかりません。
だから「ウナのこと」日記はもしかしたら、もう少し続くかもしれない。

ウナの思い出は沢山沢山
山ほどあり、これからも私の中で生き続けるだろうと思うから。




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2006226(日)
ウナのこと-「終わり」と「終わらせかた」-

医療用の酸素濃縮機をレンタルした。いつもウナが入っていたキッチンの食卓を持ち込み、ビニールを張り巡らせて酸素室代わりにしている。
何事にも新しいことに慎重なウナはなかなかこの中に入ってくれない。


結局使用しなれたヘッドセットを取り付けてしのぐ。これが来る前よりはいくらか楽になったようだ。


かなり苦しくなってきて、もう酸素吸入なしでは3分持たない。
また少しでも具合が良くなれば外の空気に触れる事もさせてやりたい。


ウナの飲んでいる薬、朝晩2回、一回の量は10粒以上にもなった。
オレンジ色のがステロイド。


沢山の薬をなるだけ一度に飲ませるためにオブラートで包んで喉の奥に押し込む。嫌がるが飲んでもらわなければ仕方ない。
「ウナのこと」のシリーズ日記はウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 先日の日記でウナの身体、皮下に出来た腫瘍のサイズと数をこう書いた。「卓球のボールサイズが数えると4箇所くらい、小豆サイズが2箇所」。
あれから約2週間がたった今、その腫瘍の数はもう数える気力をなくすほどに成長し、増殖していた。本当にもう数えられないが、ゆうに3ケタを越していると思う。この体表面のガンの数から内部はもっと悲惨な状況になっていることは明白だと素人にもわかる。
「ガンに侵され、身体を蝕まれ・・・・」などというくだりをテレビなどでこれまで何度も耳にしたことがある。でも、全ては自分に縁遠いこと、と聞き流してきたその言葉は今身をもってとても深刻で、そして重く暗いものであることをを実感している。

このウナの病気をを通して、その悲惨さは本当には他人にはわからないのだと思った。
単に現実を悲観しているわけではなく、
わからなくて当然なのだと思う。本当の辛さは当事者にしかわからない。同じように犬を飼っている人でも、ウナをよく知る人でも「ああそうですかー、それはお大事に・・・。じゃ、○○ちゃん(飼い犬)行こ!」と去っていく。自分の犬は無関係と信じている。その程度だ。そう、でもそれが当然なのだと思う。以前の自分も同じだった。

その人はその人なりに一生懸命、自分を生きている。ウナや私たちより大変なことを抱えている場合もあるだろう。
私が今、他の誰のことも構えないくらい悲しく、憔悴しているように、人は皆それぞれに自分の生を
生きることに精一杯なのだ。それでいいと思う、他人の悩みをまったく同じように苦しんでいるほど人生は長くはないと思う。

でも私は今回の事で骨肉腫の辛さについては身をもって理解することができた。だからいつか、同じような犬を介護する人がいたら惜しみなく共に
辛さを分かち合い、また自分の知る限りの情報をを提供するだろう。ウナがこうして生きたこと、頑張ったことが他の犬や飼い主に少しでも役に立てばいいなと思う。

出来てしまった
ガンの数を見て、それでもまだウナが現在のような状態を保っていることが信じられないくらいだ。まるでウナが私たちの「まだ、まだ、頑張って欲しい」という願いに応えるかのようだ。人間だっだらとうに寝たきり、痛みに耐えられずモルヒネを打っているだろうと思う。
ウナは(本当は痛いのかもしれないが)痛がって鳴く事もないし、
自分でトイレへ向かい排泄し、量は激減したが経口でものを食べてくれている。

でも、ウナの状況は
近日になって一転してきていた。いや、本当は一転ではなく、やはりすべては繋がっていることなのだろう。これまでウナの病状はなだらかな直線で滑り落ちるようにではなく、幅の広い階段を一段一段下りるように、時折平行線に留まり、忘れた頃にまたガクンと落ちることを繰り返してきた。上向き加減に見える平行線の時期があったりしたのは、ウナがその時の自分の体力以上に頑張ってきたからなのかも知れない。
安定してた時はこのまま、このいい時期が永遠に続くのではないかと思えるほどだった。

5日ほど前からウナの症状は本当にますます深刻になってきた。
以前の日記
で書いた事だが、肺ガンによる呼吸困難への対処として、これまでは健康器具として販売されている家庭用酸素濃縮機の家電製品や、咄嗟のときに対応するようにスプレー式の携帯酸素などを使用していた。

ウナの肺のガンは体表に出来たものよりずっと以前に転移が始まったのものだ。
想像するまでも無く、今ではウナの肺はその殆どがガンに占拠されているだろう。まだ健康に残っている部分だけで酸素を取り込み、身体の隅々に送らなければならない。この単純で当たり前のことがウナにはもう出来なくなってきた。吸っても吸っても取り込めない、苦しい。

2月20日の夜から落ち着きが無くなった。苦しさから逃れようと立ったり座ったり、立ったり座ったり・・・でも30秒も同じ姿勢を保てない。残っている前足と後ろ足、3本のそれぞれの脚の筋肉にも沢山の腫瘍が巣食っている。もう上手に身体のバランスを保てるはずもなく、立とうとして転び、座ろうとしてはのめり込んで倒れる
まさに「のた打ち回る」という表現そのものの光景だった。

介護する人間は立ち上がるウナを支え、そしてまた、なかなか座ろうとしないウナの身体を支える弱った前足を守る為に、37キロある身体を支える。救急用の酸素スプレーもだめ、
家庭用酸素濃縮器での酸素吸入ももう効き目がないからか、ウナはぐずって大人しく受け入れなくなった。苦しさとの格闘は一晩中続いた。

上記の家庭用酸素濃縮器はあくまでも健康器具であり、療養に使うものではないから酸素濃度は30%、毎分の酸素流量はわずか2.5リットルだ。
流量、濃度を上げなければもうウナの苦しさに対応できない
以前からいずれはこの時が来るとは思っていたが、また新たな対応を早急に考えねばならなかった。

うちわの話で恥ずかしいが、こういうときに新たな物・事を導入するのに家族内で意見が割れる。
「人間のエゴで機械や薬を使い延命するのはウナにとって良くないんじゃないか」という意見だ。でもこれは植物人間や脳死の患者に機械を埋め込んだり穴をあけてチューブを取り付けたりして人工的に延命するのとは訳が違うと私は思っている。
ウナを生かしたい、可能な限り長くそばにおきたいと思うのはエゴか。そうではないとも言い切れない。でもウナは
自分の心臓で血液を送って生を保ち、自分の口で息をし食べ、排泄している。自分で生きている。こんなになっても時にイタズラをして遊びたかったり、好物のジャーキーを貰いたかったり、好きな人が来て喜んだり、帰るなと言って怒ったりする。

ウナがウナとして自分の力で生きていて、
ウナという普遍の人格(?)がまだ肉体を持って生きている限り、私はどんなことをしてもウナに生きていてもらいたかった。ウナがこの残りの短い生を少しでも快適に生きられるようにしてやりたい

いろいろとそうした人間の間の問題はあったが、どうにか
医療用酸素濃縮機をレンタルするにこぎつけた。
調べていて自宅から近いところにそのレンタル会社はあり、そこを利用した介護者の体験記なども読んだ。
ペット用にもレンタルを行っている。各社でサービスは違えど遠方になればなるほど搬送に時間とお金がかかる。近所にあるその会社は近いというメリットがあり、不可もない感じだったのでそこに決めた。それに良く検討するだけの時間的猶予もなかった。ウナをさらにもう一晩苦しいまま過ごさせ、夜間介護する母がまったく一睡もできない状態をこれ以上続けるわけには行かない。

担当医に電話して呼吸困難の現状を説明し、医療用の酸素濃縮機のレンタルを思案しており、ついては今のウナに必要な酸素濃度と流量を指示していただきたいと話した。
酸素は
100%に近いものOK、なぜならば酸素室なり、口元にあてがうなどしても、いずれも酸素以外の空気と混じり純粋に機械から放出される濃度を吸えるわけでないから、という説明だった。リッターは出来れば5、なければ3リットルでと言うことだった。目を付けているレンタル会社の機器で事足りそうだ。

つづけて私はウナの皮下に出来ている数々の腫瘍のことや、その増殖するスピードなどについても報告した。
それを聞いて、いつも冷静な担当医は珍しく
「そうですか・・・」、とため息を漏らしただけだった。

「とにかくはこれまでステロイドの量を減らしてきていましたが、またいったん引き上げてみましょう。今日から3錠飲ませてみてください。そして医療用の酸素濃縮機を使い、状況が改善されるか様子を見ましょう」
「それでもだめならステロイドは身体に負担をかけるのでまた量を減らしていきます」
じゃ、どうするの?それから先はどうなるのステロイド量を増やしてもだめなら、他に方法は?・・・
「その先はどうなるのですか?」と尋ねると、返答を濁された。自分でも分かっていたはずなのに、質問するのではなかった。
そして担当医はこう続けた。
「とにかくは今言った方法を取ってみて2~3日様子を見ましょう。ただ・・・・もしご家族の皆さんが安楽死という選択肢をお持ちなら、時期を見なくてはなりません。あまりにギリギリまで待ってからでは、それは本人にとってはとても辛いこと(苦しみしか残っていない状態で逝かせること)です。また実際問題、(安楽死を)決めても病院に向かう車の中で、酸素ボンベを使用してもなおかなり大変なことになると思います。だからその見極めが非常に難しいところなんですが・・・。」

私は担当医が言いにくい事を、敢えてアドバイスしてくれたことで、割りと冷静にその内容を捉えられた。そうか・・・見極めか・・・と思った。
担当医は最後に、二人で暗くなってきた気持ちを振り切るように、とにかくはまず様子を見てみましょうよ!と繰り返して電話を切った。
担当医も辛いのだ。自分と歳も近いせいか、何だか同じ試練に立ち向かう同士のよう思えた。


もう長いこと私は安楽死について考えていた。周りは私が絶対に望まないだろうと思っているらしいが、実際は
それほど否定的な考えを持っているわけではない。もうウナに生きる気力を感じられなくなった時、生きることが辛さだけになってしまった時、その時は腹をくくらなければならないのではないかと思ってきた。

以前、友人宅で飼われていた
末期の犬を見た事がある。その部屋に入って10分以上もその子が片隅に寝かされているのに気付くことが出来なくて申し訳なかった。横切ろうとして初めて足元に横たわる生き物にはっとした。
そんなに何頭も死に行くペットを見たことがあるわけではなかったが、自分にも
一目でもう長くないだろうということがわかった。
かつてはフサフサとしていたであろう毛並みはしっとりと身体にへばりつく量になり、輪郭はゴツゴツと骨ばっている。見知らぬ侵入者に顔を向けることもできず眼だけが不安げにキョロキョロと動く。
当時すでにウナの闘病が始まっていただけに、この子がいったい何の病気でどのくらいこうしているのか、友人には尋ねることが出来なかった。

こういう子を部屋の
片隅に置き、一緒に暮らすこと、面倒を見ることがどれくらい辛いことだろうかと思う。息も絶え絶えのこの子本人もそうとう苦しかったろう。

でも聞いたことがある。
「動物は決して自殺しない」
そして、もう前途には「死」のみになった状況でも、決してあきらめない。
例えば、草食動物が肉食獣に襲われ、頸に喰いつかれてもなお、まだ生をあきらめていない。必死で逃げようとする。
死ぬその瞬間まで生きようとする

友人がどういった考えで、今はすでに亡くなったその子を安楽死させる道を選ばなかったかは知らない。
その子が辛くとも、
自分の生を自分の手で全うさせること、その子と暮らそうと決めた飼い主も共にその苦しみを最期まで分かち合うこと。
それも一つの生きる形、死ぬ形、なのだ。

ウナもやはり、死ぬその瞬間まで生きたいだろうか。
ウナは早く楽になりたいだろうか・・・・・・・・・・・。


母は、「ウナは野生動物ではない、産まれた時からうちの家族でありペットなのだ」と言う。
やはりペットにおいては、
生も、そして死も全てを飼い主が責任をもってコントロールする必要があるのだという。

ただ今は担当医の、「見極め」という言葉が耳に残って仕方ない。

担当医との電話を切ってすぐレンタル会社に電話をし、
当日配達の話をまとめた。
「機械の到着までに酸素室を用意しておいてください」と言われた。
今の、のた打ち回っているウナが大人しく酸素室に入ってくれる保障はないと思い、室内への放出はだめか?と質問した。室内に放出すると当然酸素濃度が低下し、今のウナの状況には
対応できないだろうということ、そしてもう一つは室内に酸素が充満すると、火の元があったりする場合にとても危険だということだった。

この
医療用酸素濃縮機は90%、毎分3~5リットルの酸素を供給する能力を持っている。とにかくこれでどうにかなってくれないかと期待した。

でも今のウナは一筋縄では行かなかった。酸素室を作ったが
なかなか入ってくれない
近日の想像を超えた苦しさに、文字通り
殆ど半狂乱になってきていた。わがままをいい、無駄に吼えたりすることが重なった。普段のウナなら、やらなければならないことは多少嫌でも我慢してきたはずだ。

そんなウナを介護しながら、
「介護」の難しさを実感する。やりたがらない、でもやらせなければもっと苦しくなる。苦しければ介護する側にも休息はない。疲労。

濃縮機が到着して2日目、ようやくウナも新しい濃縮機に慣れてきたらしい。
相変わらず酸素室は嫌がるが、以前家庭用濃縮機を使用していた時と同様に
ヘッドセットで鼻先にあてがうのは受け入れるようになってきた。再び3錠にもどしたステロイドの効果も少し見られるようだ。
おかげで介護する側も暴れるウナを終始保持しなくて良く、そこそこの時間
交代で眠れるようになった。

それでも、もう以前のような
いのちの力強さをウナから感じられることはなくなった。厳しいながらも今何とかやり過ごせているのも、時間の問題だろう。肺に健康な部分が無くなれば、もう何もしてやれない。そしてそこまでで我慢させるのは、生きながら死なない程度に溺れさせているようなものだ。それは本当に酷な事なのだろう。

本当に、その時が、考えたくなかった
その時がもうすぐやってくる。
家族の誰もが同じように、冷たい脂汗をかきながら口をつぐんでいる。

<次回へ続く・・・>

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2006212日(日)
ウナのこと-最後までウナで-

向かって右は母親のティカ(現在8歳、ハワイ在住)。左が子供のウナ。
 2000年1月に9匹兄弟と共に現在のこの家で産まれた。
画像の頃はまだ3ヶ月たたないけど、オスの兄弟にも負けないおてんばぶり、力強い生命力をも感じさせるふてぶてしさ。母はこの子の奔放な無邪気さ、愛らしさに惹かれたという。
 9匹いた中で我々はウナ、たった1匹を選びこの家に残した。
骨肉腫に罹りこのような運命になることが決まっていたのだとしたら、ウナがこの家の子になったこと、ウナを選んだことは正解だったと思う。
自分達のこの手で心行くまで見てあげることが出来るのだから。

*「ウナのこと」のシリーズ日記は、ウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 最近、ウナの身体に変化が起きてきた。
ガンの増殖、内部の変化はもちろん我々の眼に見えないだけでもうずっと進行形で来ているのだろう。
だけど、最近ウナは副作用で食べている割には痩せてきている。ガンが成長するのに身体の栄養を奪うとは聞いた。
そして今もっとも気になるのは、身体のあちこちに
ボコボコとしこりが出来始めた事。

初めは小豆大だったのだろう。小さい状態からすぐに気がついたところもあったが、その大半は大きくなり始めてからだ。すでに
卓球のボールサイズが数えると4箇所くらい、小豆サイズが2箇所ある。くまなく探せばきっともっとだ。

肺にガンが出来たとき、発覚した時は
「ウナだから、きっとまだ、まだだ」と期待があっただけに本当にショックだった。
だけどガンは普通に考えても
肺だけの転移で終わるはずもないのだ。
ウナのガンは
血液やリンパの流れに乗って飛び火していく。当初肺が、肺がと騒いでいたが、ウナは左前足が原発だったので、一番早く転移が出るだろうと予想されていた肺をチェックするの手っ取り早かったというだけの事だ。

これから先どういった部位に症状が出てくるのか、前に先生に聞いたことがあったのを思い出した。
「ガンは肺だけでなく他の骨、臓器、筋肉に出る可能性があるし、皮膚表面にも出来ることがあります」

今のウナの身体に出来始めたボコボコはやはりガンではないだろうかと思う。日程のタイミングが合わなくて、この件でまだ先生の診察は受けていない。
でももう、ガンだとわかっても
これ以上ウナを切ったり貼ったりはしない
ただ痛みや不快感を出来るだけ、可能な限り取り除いてやる治療を選択するだけだ。先生もきっと同じように仰ると思う。

このボコボコで私は一番恐怖を感じるのは
耳の下にあるものだ。
人間でも風邪を引くと腫れることのあるリンパ腺のライン上に出来ている。これが脳にいってしまったら、と思う。

ウナの脳がガンに侵されることだけはなんとしてもあってはならないウナがウナでなくなってしまうこと、それだけはどうしても嫌だ。

ウナは左脚を失い、身体の自由を奪われた上に肺への転移、これだけある酸素を取り込めない苦しさ、ウナの生きる為の翼は一枚一枚羽根を捥がれて、そしてじりじりと締め付けられて、やがて死ぬのだ。
私はウナが苦しいこと、血を吐くこと、弱った脚で歩いて顔からのめり込むように転ぶことなどにいつしか
慣れてしまった
人間は悲しく弱い生き物だと思う。どんな悲惨なことでも繰り返されたりするといつしかそれも普通になって慣れてしまう。そうしないとその都度新たなショックを受けていては悲しみに押しつぶされてどうにかなってしまうからなのだろう。

こんな自分が無常だとは思うけど、そんなに悪いことでもでもないと思う。今あるウナとともに過ごす為に
自分が健全でいることは必要なことかも知れないから。

今でもウナは苦しくない時だと、あの子供の時変わらない無邪気さ、奔放さ、明るさで接してくる。
「ああ、ウナがまだここにいる」と実感する。
さっきまで悲しんでいたことさえ忘れ、ウナの度のすぎるイタズラを叱ったりしている。
今、ウナがウナで居ることが私たち家族にとってのこの上ない喜びだ。

ウナがいずれ死んでいくことを現実として受け入れよう。
だけど、どうか、ガンが脳に達したりしませんように。
ウナが最期まで、
最期のその時までウナで居てくれますように

<次回へ続く・・・>
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200624日(土)

ウナのこと-酸素を-


スプレータイプ。
各種メーカーで出しており街のドラッグストアで購入できる。700円~900円位。
上部のキャップの部分を噴射口差し込んで使用する。犬はシューッという音を嫌うが、短時間の使用でも効果があるようだ。
2分連続噴射と短いが、発作時に手軽に対応することができる。



化学反応式。
インターネットで購入。本体(左)にカートリッジ(右)を入れて酸素を発生させる。本体とカートリッジ24本セットで10000円位。一本あたり値段はお得だが、酸素にあまり勢いがなく(出てるのか出てないのか・・・・)この毎分あたりの酸素流量ではとっさに起る発作に対応できない感じ。カートリッジは追加購入可能。

*「ウナのこと」のシリーズ日記はウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 あれからウナは全体として比較的調子の悪くない日が続いていた。

けれど、肺が癌に侵されている為に充分に取り込めない
「酸素」を、いかに供給をしていくか、私はあれからずっと考えていた。これまでの介護生活の実体験から学んだことだが、その時、発作が起きてからでは遅い。使えるか使えないか、ウナが受け入れてくれるかくれないか、それは判らない。判らないがまずは準備をしておかなければ、いざと言う時まったく間に合わないのだ。
 例のごとく私はインターネットでいろいろな方の
介護手記医療機器会社の広告を探した。先日簡単に述べたが、「酸素を供給してくれるモノ」にはいろんな種類がある。もちろんその全ては人間用だ。

スプレータイプ。酸素濃度が高く(95%、ちなみに空気中の酸素は15%程度)、手軽に利用できるがランニングコストは高い

化学反応式。手軽で単価はそこそこ、酸素濃度はほぼ100%くらい。だが化学反応式なので一度反応が始まったら途中で止められず、5分とか10分で使いきり。粉末や液体リフィルの交換・買い足しが必要。化学反応式だけに取り扱いが多少気なる(動物に使用するから余計・・)。

家庭用酸素濃縮器。空気中の酸素を取り込んで、濃縮して供給してくれる家電。電源式で、一度買ったら簡単なメンテナンスのみで後は何もいらず手軽で経済的。でも濃縮後でも酸素の濃度は30%程度。

医療用酸素濃縮器。酸素バー(カプセルやサロンに入り、高濃度酸素を吸ってリフレッシュする場所?)なるものが一時期流行ったらしいが、そういった商業用・医療用に使われる酸素濃縮器、の上級版。濃度も40~90%で毎分の酸素流量も①②③より大きくなる(3~7)。何十万もするので家庭での使用はあまり現実的ではないかも。

酸素ボンベ。
値段も容量も色々あるよう。一般家庭で使用するなら通常はレンタルになるだろう。最初の各レンタル会社の定める契約金のほか、一本ごとに3000円くらいからのレンタル料。末期的に苦しくなったら、酸素流量、供給スピードの面でこれでしか対応出来なくなるだろうと思う。

調べればもっと色々あるのかもしれないが、うちでは①②③を常備しそれぞれの特質ごとに適切な場面で利用してる。
酸素ボンベや濃縮器は自宅介護用にレンタルも出ているようだ。ただもちろんその殆どが人間用。交渉して動物に使うということも出来なくないようだが、断られる場合もあると聞いた。
動物用にレンタルしている数少ない会社のホームページも覗いてみた。かなり苦しい段階に入ると酸素室を用意する必要性が出てくるのだが、こちら会社では小型犬用の酸素室しか取り扱っていなかった。大型犬が入るような大きな酸素室はない
大型犬の介護をされた経験を綴られた方々のホームページ見ると、たいていは酸素ボンベや濃縮器をレンタルし、自宅にあるケージを利用して
ビニールハウス的なものを作って対応されていた。

今のウナはまだ幸運なことに
ステロイドが効いてくれていて、酸素室が必要なほどではない。薬の効きが悪い時や、食後やトイレあと、短い散歩後などの動いた後に苦しくなる事がある。それもまだ1日に3~4回程度。
癌により体力・免疫力が落ち、
酸素が行き渡らないので体中の機能が低下している為に、いろいろなことが起きる。先日の結膜炎膀胱炎などの感染症、肺からの喀血(先日ふただび少量の喀血、止血剤で対処)、当然各臓器の能力の低下
近日気になったのは、突然酷く吐いたあとに一瞬
痙攣した。でも健常な人間だって酷く吐くよう状況になれば立っていられないくらい眩暈を起こすのだから、酸素の足りないウナが瞬発的に酷く吐いたら、極度の酸欠状態になり痙攣くらいするのは当然の事なのかも知れない。

便の状態も今はずっと下痢気味。腸が腸として活躍できるだけの酸素が足りていないのだからこれもまた仕方の無いことなのだろう。
ただ
食欲だけはある。ステロイドの副作用のうちの一つなのだ。
元気だから食べるのでは無い事を分かっていても、それでも食べてくれるのを見るのはとてもうれしい。今、「食べること=生きること」を実感できるからだ。

最近、癌とはこういう病気なのか、と思う。
癌そのものだけによってではなく、癌に罹る事によってそれまで健康に機能していた循環が突如堰き止められるような感じ・・・。その堰き止めにより滞りが出て、その滞りを補う為に何かしらの手を打つ、手を打ったその方法は止む得ず周囲をダメにする。このような連鎖によって悪性新生物は健常だった身体を蝕んでいくのだろうか。

ステロイドを始めてからどのくらいの期間この(効いている)状態を保てるんですか、と先生に聞いたことがある。これまでのウナの癌が進行するスピードから予想できるのは1ヶ月位。以前の日記にも書いたがステロイドは癌の進行を止めるものではない。こうしている間にも癌はどんどん成長を遂げて、健康な部分の肺を侵略していくのだろう。そうすれば時と共にステロイドの効能云々ではなくなる。
ステロイドを使う意味がなくなれば苦しさに
対処する手立てはもう無く、いよいよウナにも酸素室を作ってあげる必要が出てくるのかもしれない。

ただ、
最近のウナは本当に頑張ってると思う。
苦しい闘病生活の中でもウナ本人がいることで我々に笑顔を忘れさせない。
少しでも調子がいいと元来やんちゃなウナは
イタズラを始め、「遊ぼうよ!」と言っている。大好きなおやつよりお母さんの靴下を奪うことのほうに真剣だったりする。
ウナの態度に元気を取り戻され、また笑顔でいられる。私たちがウナに笑いかけるとウナはうれしくて益々元気なそぶりを見せてくれる。
こうした
良い循環こそが2人3脚で癌に背中を見せない態度を作っていくのかもしれないと思う。

そしてウナのこの頑張りは、実際、まだ
飼い主の我々の心の準備が出来ていないことをウナが悟っているからなのかもしれないと思う。ウナを必要以上に頑張らせるのはだという意見もある。逝きたいときに逝かせてやるのも一つの方法かもしれない。だが、どんな生き方/死に方をするにせよその時、当事者達が最善だと思う方法が至上だと思う。出来る限りの知恵を絞った結果だから。というかそれしかないと思う。ウナにその時がきたら冷静に、適切に判断してやりたい。ウナに心配をかけないよう、そうできるように我々人間も心の準備を始めるべき時がきているのだ。

[ウナと私たちはまた、応援して手助けしてくださる沢山の方々に支えられています。事情を知って我々に声をかけるのは自分の事ながら辛い作業だろうと思う。それでも一言、大変ですね・・・見守っています、と言ってきてくださる方、メールをくださり動物用にレンタルボンベを出している会社ホームページのURLを教えてくださる方。
酸素濃縮器を購入するに当たって相談に乗り手伝いをしてくださった方・・・。一人ひとりの心からの一言が、間違いなくウナの大切な一日一日を支えてくれていると実感します。
この場を借りて心から御礼を申し上げます。そしてこれからもウナのこと
をどうぞ見守ってください、よろしく御願いします。]

<次回へ続く・・・>
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家庭用酸素濃縮器。
エアチャージャーという商品名。新品を買うと27000円位。これはネットオークション通の友人に御願いして14000円で落札してもらった。中古だが殆ど使用されておらず、清潔で充分に機能を発揮してくれている。使い方はいたって簡単でタイマーの時間10分か20分か30分を選択するだけ。終わったら勝手に止まる。


ヘッドセットを着用させなくともいいのだが、ウナは何故かこれを付けるのが気に入ってるようだ。「お鼻シュッシュ!練習、練習!」というと大人しく10分でも20分でもじっとしてくれている。ウナ本人にもこれが自分を楽にしてくれることを判っているのだろう。

2006124日(月)
ウナのこと-呼吸困難と闘う-

苦しいウナ。辛い時呼吸は1分間にほぼ60回を数える。
自慢のツヤツヤだった鼻は乾いて、呼吸に合わせてカパーッ、カパーッ、と音を立てる。見える部分だけでなく内部の粘膜までもカラカラになっているようだ。


さらに苦しくなると上を向く。
先生は呼吸器をやられた犬が苦しい時にどんな姿勢を取るか教えてくださったことを思い出す。
肺がつぶれる姿勢である横向きに寝ることはまず出来なくなる。伏せの姿勢で脇を開き、あごを上げて可能な限り肺を開く姿勢を取る。苦しさから食べる気力もなく、体力は限界なのに横たわることも出来ず、眼を細めてひたすら取り込めない酸素を求めて耐えている。
目の前にこれだけある酸素を取り込めない苦しさがどれほどのものであるか・・・


ウナはまだ元気だった時、このチョーカーは一番端のリングに留めていた。犬はあっという間に体重が落ちる。
*「ウナのこと」のシリーズ日記はウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 膀胱炎はまだ治らないまま、ここ数日、ウナの呼吸の状態は益々苦しくなってきていた
一日に数度、呼吸が苦しくなる。伏せのままで上を向いて息を切らし、
酸素の欠乏から視線も定まらずボッーとしてしまうことがあった。
苦しさから全ての気力と体力奪われて、
食事も殆ど出来ない。見る見るうちに足腰が弱り、あれだけ立派だった身体はゴツゴツと骨が見え始める。衰弱しきって、このままでは本当に抜き差しならない状態になりかねない。
体力がなくなっては、感染症に勝つ力も生きる希望もなくなってしまう。
状況は切迫して、これ以上もう待てなかった。

感染症があるままステロイドを始めることに抵抗はあったが、膀胱炎や結膜炎で死ぬことはない、
呼吸を楽にし、体力の回復を図ろうという結論に達した。
116、先生と相談して、膀胱炎が治るのを待たずステロイドを始めることにした。

ステロイドはいわば最期の手段だ。大部分を癌に侵された肺の中で、まだ健康である部分の機能を生かすための薬。これが効けば呼吸は多少でも楽になってくれるだろう。ただ最期の手段といったのは、この薬を使うことで免疫力は低下するし、肝臓や別の臓器への負担が懸念される。本当なら使いたくない薬だ。私の解釈で言うならば、「未来のない者への最期の麻薬」的なものだ。
ウナのことがあってから、私は薬と毒が本当に紙一重なのだということを思い知らされた。肉を切らせて骨を断つ、しかないのか。

ウナに未来がないことについてはもう腹を決めた。
その事実はもう変えようがないことを、これまで何度も何度も殴られるような衝撃をもって思い知らされてきたからだ。そのことに悲嘆し、戸惑っている時間がウナへの適切な対処を遅らせ、
大切な時間を楽しむことを邪魔させてきたこともまた事実だからだ。
だから、これからの
時間を無駄にしない。ウナの為にも、ウナとの時間をありがたいと思っている自分の為にも。

ステロイドははじめ多量をガツンと投与しておいて、効果が確認でき安定し始めたら量を減らしていくらしい。身体への負担を軽くする為だと思う。
ウナは体重があるから、
人間とほぼ同等の量を服用しなければならない。抗生剤だってチワワが半錠のところ、ウナは大粒3錠飲む必要がある。薬の量は増えていくばかりだ。

ステロイドを投与し始めて
次の日から、その効果は見え始めた。呼吸は楽になり、副作用の一つである食欲の増進が見られ、見る見る間に食欲が出てきた。ウナが何も食べなくなってあれほど悩まされたが、食べてくれる様子を見られるだけで、例えそれが副作用だと知っていてもうれしかった。
食べられず、多量の水とわずかな偏ったものだけを食べていたせいで、下痢もし、体力は限界に来ていたがこれできっと力を取り戻してくれると思う。

ステロイドを飲み始めて一週間、呼吸と体力はかなり安定してきた。
それでも時折、食後や部屋の空気を入れ替えるタイミングが遅れたり、しばし動いたりした後は
発作的に呼吸困難になる。
ステロイドを飲んでいてもだめなときがあるのだ。後は
酸素吸入しかない。

よく病院で見かける
酸素室を作るか、酸素ボンベのマスクをつけてやるのが一番いいのだが、今はまだ24時間苦しいわけではないし、それに自宅でそれをやるのは色々と問題がある。レンタルもあるがコストは高く、ボンベは一本はかなり重い、家族が不在の時母が一人で交換などは無理だ。
この類のものは色々あるが、今のウナの症状の程度で手軽に使えるのはいわゆる
スポーツ用の携帯酸素スプレー。これを買ってきて試してみた。犬はこのシューッという音になかなか慣れてくれないが、苦しい時にしばしでも当ててやるとやはり楽になるようだった。、これも決して安いものではなく、95パーセントの酸素濃度で(ちなみに空気中の酸素濃度は20パーセント程度)、120秒連続噴射、5リットルの酸素を供給する、とある。で800円前後。2分しか使えない、しかも音に驚いて動くし、まともに吸ってくれる量はたかが知れていた。
今後何か
もっと吸いやすく、安定した供給が出来るものを考えなければならないと思っている。

先日、もうステロイドも効かないのかと思うくらい、
酷い発作が続く日があった。珍しく降った雪で通院するはずが出来なくなり、先生には電話で状況を報告し相談した。先生は私の報告から肺の癌はさらに進んでいるだろうと仰った。でも呼吸の苦しさの原因は肺自体のみからだけではないかもしれないと言う。ステロイドの副作用、肝機能障害によって腹腔が腫れ、肺を圧迫してる可能性があるかもしれないとの事だった。これに対処する薬として「理胆剤を出します」と仰った。通院できなくても薬を可能な範囲で郵送してくれる。おかげでこれまでも薬を切らすことなく来れられた。

そういえば母がこのところウナのお腹が腫れているような気がする、と気にしていた事は他の部位が痩せたせい、ただの気のせいではなかったのかもしれない。
仮に肝臓に炎症があって、この理胆剤を服用することによって症状が緩和されたからなのか、服用開始後のこの2日間(今日現在、1月24日)、ウナの呼吸困難の発作はかなり抑えられ、
元気を取り戻していた。

今呑んでいる薬は、
膀胱炎と感染症を防ぐ為のための抗生剤=3錠、肺の炎症を和らげる
消炎剤=1.5錠、ステロイド=2.5錠、薬による胃の負担を軽くする為の胃薬=1錠、理胆剤=2錠、下痢の為のビオフェルミン=3錠、全部で10錠

もの薬を服用している。

こんなに薬を飲まなければならない状況は辛いが、薬が効いてくれる事をありがたいと思わなければならない。
そしてあんなに苦しがっていたウナが、またこうして笑顔を取り戻していることが心からうれしい。
ウナと共にこの時間を大切に楽しむこと、それがウナの余命を1分でも長くすることに繋がると信じている。

<次回へ続く・・・>
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2006112日(木)
ウナのこと-感染症-

この時はまだいくらか白い目ヤニ。いくら拭いてやってもつぎつぎと出てくる。
眼自体もしょぼしょぼするのか、まったく生気のない表情になってしまった。


片足になってから右前足の負担は相当なものだ。切った左の肩の筋肉はツルンとなくなり、代わりに右肩や胸、脚部の筋肉が発達した。見た目にもかなり大きくなった。
人間で言うこの手のひらの部分も以前より大分大きくなった。

*「ウナのこと」のシリーズ日記はウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


110日。急遽またウナを病院につ連れて行くことにした。
先日の「寝つきの悪さ」の問題は多少改善されていたが、一昨日、昨日と
また違う症状に苦しむウナを見ていられなかった。昨日の時点で先生に電話で相談して、時間のある時できるだけ早く来てください、と言われていたのだ。

毎分当たりの呼吸数を数えだして初めて、それは日ごとというのでなく、時間ごとにかなり違いがあり、見た感じの状態(苦しそうか、どうか)とも異なることが分かった。先生が仰った
犬の通常毎分呼吸数は20~30回。ウナの呼吸数は時折その範囲内であったり、或いは40回までいく時もあった。また1分間息を殺して数える間にもウナの呼吸は「ハッハッハッハッ、ハァー、ハァー、」と一定のリズムでないことがしばしばある。これはやはり息が苦しくなってきている証拠なのだろう。食事後や身体が温まった時は当然呼吸が速くなるのだろうが、ウナの呼吸数の変化には時間的な規則性がなかった。ここ2~3日、苦しいせいからか食欲もガクッと落ちてきている。ステロイドを使い始めるべき時に差し掛かってきているのではないか、と気になってしかない。
もう、
「あの時、もっと早くこうしてやれば良かった」と後で後悔することはしたくなかった。

結膜炎による症状はさらにひどく、目やには黄色に変化して抗生剤入りの目薬に変えなければならない段階になってきていた。
そして私が最もその変化に疑問を持ったのは、
突然のように大量の水を飲みだしたことだった。ウナはもともとあまり水を飲まない。まだ元気だった頃、散歩の途中の公園の蛇口から流れる水を好んで飲む以外、家では殆ど白い水を飲まなかった。だからウナが脚を切り、散歩がままならなくなって以来、どうにかして水分を摂らせるのには苦労していた。そのウナが突然、お風呂場の蛇口から水を飲みたいと言い出した。捻ってやると、勢い良く流れ出る水をいつまでも飲んだ。そしてそれに伴って当然おしっこを大量にする。初めは「?」と思っただけだったが、一週間分の飲む量を一日で摂ってしまうのを見てこれは明らかにおかしいと思った。以前に聞いたことがある。子宮嚢腫になると大量に水を飲むようになると。

それにウナの
前足がやや浮腫んで見える。座位からの立ち上がりがよろよろするようになって尚更、この残った前脚に新たな骨肉腫が転移したのではないかという恐ろしい想像もした。
ウナが骨肉腫に罹って以来、しばし元気を取り戻してくれた以外にいい事は殆どなく、
ウナの状態は坂道を転げ落ちるように、悪いほうへ悪いほうへ転がりだして止まらなくなっていたから、また突然の落胆をする前に全てを疑がってかかる悲しい癖がついている。

これらの状況を先生に電話で報告し相談すると、
「水を沢山飲む原因は、もちろん子宮嚢腫も考えられるが、身体のどこかが具合悪いと動物は水を沢山飲んでしまうことがある。おしっこの回数が多いことからは膀胱炎ということも考えられる。呼吸数が安定しないのは一重に肺の癌のせいなのか、あるいは他の要素も絡み合っているからなのか、電話の問診だけでははっきりしたことは言えません。
ステロイドを使ったほうがいいのでは、と悩んでいるのであれば一度使ってみて反応を見てみることも可能。だが、もし膀胱炎などの感染症に罹っている場合、ステロイドは症状を深刻に悪化させるので使わないで欲しい。とにかく一度おしっこの検査をしましょう、それで現在の状態の原因が分かると思います。」


そういうわけでウナをいつまでも苦しむのをただ眺めていられず、電話で相談したすぐ次の日に連れて行ったのだった。

血液検査、尿検査、脚のレントゲン検査を行った。
結果は子宮嚢腫という肺癌よりも早く死を招くかもしれない、
最悪の想像からは外れており本当にほっとした。脚のレントゲンからも新たな骨癌は見つからなかった
でも、やはり先生の言ったとおり
膀胱炎になっていた。呼吸はもちろん苦しくなってきているが、ステロイドがどうしても必要と言う状態かどうかは、現段階で一概には言えない。もう少し我慢できるのであれば、当然この膀胱炎を治療することが最優先だ。そうすれば全身状態も改善され、この悪循環から少しでも脱することが出来るかもしれない。

これでここ2~3日の状態にだいたいの説明がついたわけだ。
ただひたすら、親切で信頼のおける病院の存在がありがたかった。

ようやく安心して帰宅したが、10日分の新たな抗生剤をもらってきて、我々はまた頭が痛い。ウナは食事に
薬を混ぜられる恐怖から食欲をなくしていると言えないこともなかったからだ。毎日沢山の薬を必要とするウナに、食事も薬も摂ってもらえるよう様々な工夫を凝らしてきたが、近日はどんなにしても薬をペッと吐き出すようになり、大好物だったさつま芋やカボチャも薬が混ざっていると疑っているのか、とうとう食べなくなってしまった。

本当はやりたくないが、薬は強行手段で
のどの奥に突っ込んで摂ってもらう。食事には混ぜないようにした。それでも食欲自体も低下してきているので、ドライフードなどはもうまったく食べない。大好きだった最高のご褒美・牛肉もさえ食べない時がある。こんな状態でもなんとか食べてくれるのは茹でたレバーだった。食べてくれるのなら何でもいい。とにかくこれ以上体力だけは落として欲しくない。
体力さえあればまた少しでも回復し散歩できる日が来るかもしれない。


<次回へ続く・・・>
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200617日(土)
ウナのこと-残された時間-

ウナの眼はすっきりとしており、大型犬に見られる下目蓋のたるみは殆どない。白眼の色も綺麗だ。


「ウナ、なにをじっと見ているの?」
*「ウナのこと」のシリーズ日記はウナが骨肉腫に罹った事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


1
7日、今日ウナを病院へ連れて行った。
喀血から10日がたち、頂いていた薬が終わったのもあるし、今後のこともまた良くお聞きしなければと思っていたからだ。もともと予定していた通院だったが、どうしても行かなければならない理由がもう一つ出てきた。
実は
一昨日からウナの様子がおかしい。喀血は最初の日、1229日に急ぎ病院に連れて行き、止血剤などの薬を飲ませ始めて3日間ほどで、出血及び咳までも収まっていった。そうして快適に楽しく過ごせた1230日~13日の小旅行、その横須賀の別宅から都内の実家に戻った翌日、4日の日から元気だったウナの様子は一転した。

喀血や咳はない。けれど、まったく眼に力が無く、朝起きても布団の中から出てこようとしない。
だるい、といった感じだ。今まで旺盛だった食欲もあまりなく、肉やお芋など好きなもので釣って何とか規定量を食べさせた。

そして5日の夜からは
「寝付き」が悪くなってきた。眠ろうとすることはする。だけれどその姿勢を頻繁に何度も入れ替えるのだ。寝る姿勢は犬だから仰向けはなく、重心真ん中の伏せの状態か、脚を同方向に投げ出して横腹を見せて寝る状態、無論、右側と左側の状態がある。いつもこの3つのどれかの姿勢で寝始めて、その姿勢に疲れると体勢を入れ替える。今まで気にしたことがないから、どれくらおきに入れ替えをするのかは分からないけど、明らかに落ち着きがない。どうにか快適でいられる姿勢を探しているようなのだ。でも、結局どの姿勢も快適でないのか、起きては入れ替え、起きては入れ替えを繰り返した。いつもならもっとぐーっすり寝てくれる。やはり身体のどこかに痛いところ、或いは苦しいところ、気になるところがあるのだろうか。

寝つき悪さの原因が気になる、これが一点、そしてもうひとつは眼の下、
下目蓋のたるみと白眼の赤さ

これは昨日からの事だ。ロットワイラーのような大型犬は成犬になると下目蓋がたるみ、眼を保護する粘膜が露出して見えることがよくある。でも個体差があってウナはそれほど
たるみがないタイプだ。だから今朝ウナの顔を見て何か違うと思ったのだった。よく見るとたるみそしてちらっと横目をした時に見える白眼の赤みが違うと思ったのだった。心なしか目ヤニも多い。

病院に着くと、先述の気になる2点と今後の事などについて、お話を伺った。前回自分は病院に付き添えなかっただけに、質問したいことが山積みになってもいた。

一通りの診察の後、
「やはり以前より全身状態が悪くなっています、(抗がん治療の副作用としての)免疫力の低下からか、ウナちゃんの眼は結膜炎になっています」
と先生は仰った。
前回、レントゲンで見て取れた腫瘍の広がり方に対して、殆ど聞こえなかったった
肺からの雑音も、今日は腫瘍の多い左肺から聞こえてくるようになっているとの事だった。
しかし今回の診察で
先生がもっとも気にされたのは、夜の寝つきの悪さの件だった。

先生は、立て続けに近日のウナの様子について質問された。
「呼吸数はどうですか、苦しそうな感じがすることがありましたか?或いはどこかが痛いようなそぶりを見せることはありませんか?」
寝つきが悪くなったこととして考えられるのはやはり、身体のどこかにしっくりこないもの、或いは不都合があると考えられるとのこと。
普段から気をつけて観察するようにしている我々は、呼吸の目立った乱れは感じたことはない、しかも体勢に落ち着きを見せないのは
夜間だけ、昼間は比較的じっとしている、と即答した。
「そこなんですが、実は呼吸器系は夜間寝ている時などが特に症状が出やすいのです。だから普段目に見えにくくても、呼吸が苦しい、何かしっくりこないなどがあるかもしれません。」
「また別で考えられるのは、さらなる転移が別のところ、別の臓器や骨などで始まっていてそれが痛いから落ち着きがない、という可能性もあります。どこにどんな症状が出るかで今後の対処方法が変わってきます。」

ただやはり一般的にも、そしてウナの現状(肺に転移が始まっており進行も早い)事を鑑みると、呼吸の苦しさ問題が最も心配だとのことだ。

寝つきが悪くなってまだ2日、少し様子を見ることにした。苦しくなる場合
次のステップとしてステロイドの使用を考える。すでにいざと言う時の為に予備は頂いている。ステロイドを使えば少しは楽になるはずだ。出来た腫瘍を殺したりはもちろん出来ないが、腫瘍が残った肺の健常な部分の機能を妨げないようにしてくれる。それに食欲も出る。ただどんな薬でもそうだが、当然副作用もある。肝機能の低下免疫抵抗力を下げることがあるから、喀血からこれまで飲ませてきた抗生剤・消炎剤は引き続き続けなければならない。

しかし問題は
ステロイドを使い始める時期だ。理由は副作用の問題と、使い始めたらもう、やめることは出来ない状況になるだろういうこと。
しかしあまりに待ちすぎてタイミングを逃し、苦しくなってからでは
経口で薬を飲ませることが難しくなるそうだ。注射もあるが通院頻度の問題もあるし、自宅で打つも事も可能だといわれたが、ウナの身体に針をつき立てる勇気はない。
そうなる前にと言うことと、
「苦しく長く、よりも快適に・・・・と言うことを優先するという考え方もありますし」
と先生は仰った。無論・・・の意味は言うまでもない。
とうとうこの状態まで来てしまって、
先生の仰ることの価値を痛いほど感じる。

結論として少しだけ様子を見る、苦しいか苦しくないかの明白な尺度として、
1分間当たりの呼吸数を日常的に数え記録していくということ。こちらが使い始めたほうがいいのでは・・と思った時点で先生に相談し、使用を決める。

末期になると相当苦しい、疾病によっていろいろな苦痛があるが、呼吸が苦しいというのはとても辛いことなのだそうだ。先生は
「その場合は私なら安楽死を考えます」
とも付け加えられた。

開きたがらない先生の口から無理やりの答えを頂いた。
「長くてあと3ヶ月、短いと1ヶ月」(*個体差はあり一概には言えないが)
ウナと、そして私たちに残された時間

<次回へ続く・・・>
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200615日(木)
ウナのこと-喀血-

咳とかしゃっくりは普段からよくする子だ。近日の咳も正直、特に気にならない程度だった。


毎年恒例のお誕生日に作ってもらう花輪を頭に得意気なウナ。かわいい~かわいい~と褒められるのが大好きだ。


遊び疲れて。噛んでぺしゃんこにしてしまったボールを被って寝ている。いつの場面でも何とも愛嬌のある子だ。
「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 昨年度末、1229日。母があわてた声で
「ちょっと起きて!降りてきて!」
と私を起こす。時計は朝4時半をさしていた。
ただ事ではない母の切迫した声に、目をこする必要も無く飛び起きてウナと両親が寝ている階下へかけ降りる。ウナが伏せををしているその身体の前に血痕が点々と拡がっている。ウナは
「けほっ、けほっ」と咳をしていた。私は目を疑った。
とうとう
喀血(かっけつ)が始まったのだ。

あまりに
<咳が激しいのでおかしい>と思った母が電気をつけてみて発見したのだった。咳をする度にそれほど沢山ではないが血しぶきが飛び散る。背中を撫でてやりながら落ち着かせると、しばらくして咳は収まっていったが、溜まってくる血がのどに煩わしいかのように再び咳を始める。そうしているうち小さな血の塊を吐いたりもした。
量的にはそう多くは無かったのだろうが、それでもウナの周辺は血しぶきで汚れた。

外がようやく明るくなってきた。開院の時間、少し前だったが電話してみる。
先生に事情を話すと、さすがの先生も「そこまで来てしまいましたか・・・」というように軽くため息をつかれた。とにかく、これから年末・年始だ。それに本来なら明日からは横須賀にある、両親が老後を過ごす為に買ったマンションに行き年越しをする予定になっている。今現在はもちろんのこと、しばし病院がお休みの間などどうするのか、どんなことが起こりうるか、その時はどういう具体的な対処をすればいいか、これから病院に向かわせる両親によく説明して頂くように頼んだ。私は仕事納めで出勤しなければならないが、幸いなことに父はもう年内の仕事を納めて自宅に居る予定だったから、母と一緒にウナを連れて行ってもらうことにした。

ウナはおかしな表情をしている。
「なにが起こっているの?」という不思議と、助けて請う時の表情が半々に入り混じっていた目でじっと私を見る。骨肉腫に罹り、肺に転移をして余命がない、と言われていることを知らないウナは自分になぜこんなことが起きているか当然知る由もない。

このことをウナに説明することは出来なかった。いくら頭のいいウナでも、
経験していない事を理解することはできない。だから骨肉腫を、死を経験していないウナに説明しようもなかったし、仮に分かったとしても救いのない結末を話して聞かせることなんて出来なかった。

年末の少々浮いた雰囲気の会社の中で、私は愛想笑いだけ顔に貼り付けて言われた仕事をした。ウナの血が点々と広がっていた今朝の光景から、ずっと頭が離れていかない。

会社から引いて自転車7分の道のりももどかしく、すぐに母に電話を掛けた。
病院に行ったことで気持ちが落ち着いたのか、母はもう慌ててはいない。簡単な概要と、今は
ウナも落ち着いていることだけを確認して急ぎ自宅に戻った。

ウナはまだ時折咳をし、血しぶきを散らすものの今朝ほどの量ではない。一度の咳に粘液質の血が12滴、出る程度になっている。すでに服用させ始めている薬が効いているのかも知れない。
喀血の原因は、
肺に転移した癌によるものであろう事は素人の私たちにも明白だけれどやはり確認したかった。何かがのどに引っかかったせいで一時的に出血したものである、というとっぴな診断を少しだけ期待してみたかったから。だけど残念なことに先生の見解も我々素人の見解同様だった。
レントゲン検査も行った。被爆が癌を誘発する懸念があるのは当然だが、ウナの場合、もうその事を心配するようなレベルではないのだろう。

レントゲンは
前回1217の結果と比べられた。
前回大きくなったり、新たなものが増えていたりと明らかに増殖してゆくさまが見て取れたが、「今回のレントゲンでははっきり分からなかった」と母は言った。はっきり分からないって?と聞くと
「何か、グジャグジャしてた・・・前見たときは葡萄の粒のようだったけど、もうはっきりとその形が分からないくらいにがん細胞同士がくっついてしまって、黒く綺麗に写ってた部分もモヤモヤと白くなってきてた・・・」
前回からまだ2週間も経っていない。想像以上に早い展開であることを嫌でも思い知らされる。

これから朝晩服用する薬は
抗生剤、止血剤、消炎剤、など全4種類。そのほかに別の袋に入ったオレンジ色の錠剤。ステロイドだ。呼吸が極端に短くなったり、ため息のように長くなったり、とにかく呼吸が困難になった時に飲ませるそうだ。それを飲ませるような状況はなるべく後送りにしたい。ステロイドが効かなくなれば次はモルヒネだろう。モルヒネを使わなければいけない頃には、相当痛かったり苦しかったりする状況になるのだろう。

年末自宅を離れることを、当初私は容態が急変する可能性を恐れて反対したが、最終的に母の言葉に納得した。「ウナ自身が楽しみにしてるから行こうよ、もう、楽しくしてあげようよ。ウナが横須賀の家に行けるのも多分最後になるだろうし・・・」

もう、ほんとに時間がないと言うこと。
これまで何度も突き落とされるような心持ちになっても、こんな状況になっても、いつもどこかで
淡い期待をしてきた。ウナなのだから、こんなにも元気で愛らしく、生きる意欲に溢れているウナだから。何とかもう少し長い間生き延びてくれるのでは、と思ってきた。でも、もうきっとホントにダメなのだ。肺がやられてしまっている。「呼吸が苦しくなるのも、もう間もなくの事でしょう」と先生は重い口を開いたそうだ。今までウナが死ぬ瞬間のことを何度と無く想像してしまってはメソメソしてきた。でも、この喀血を見て最期を考えるのはもうやめよう、と思った。メソメソしてもウナの命は長くならない。それに飼い主の悲しみこそがともに生きる動物にとってのストレスともなると聞いていたから。
ウナが幸せだと思える毎日を過ごさせてやる。もうウナの前で泣かないと決めた。

案の定、横須賀のマンションに着いた
ウナは大はしゃぎだった。新しくウナの為に買った廊下用のカーペットが快適なのか、すごい勢いで何度も行ったり来たりした。普段は社宅に住んでいる、大好きな兄夫婦が来るとさらに大はしゃぎ。連れてきてホントに良かったと思った。元気で楽しい気持ちで居ることが今のウナに一番の薬なのだ。服薬もあるだろうが喀血の量はてきめんに減った

ウナの誕生日は来たる16。ちょっと早いがみんなが居るうちに、とお誕生祝いをすることになった。ウナが6歳になれたこと、皆が心からその喜びを噛みしめた。脚を切って不治の病と知った時は年を越せないかとも思った。ウナはやっと6歳になった。人間にすれば30才少しすぎたところだろうが、私にとってのウナは永遠に6歳のままとなるだろう。
可愛い、可愛い私の幼い妹。

<次回へ続く・・・>

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20051224日(土)
ウナのこと-成長する癌-

 あまり巷では見かけない、ロットワイラーのぬいぐるみをだっこしているつもりのウナ。昨年夏に5匹の母親になった時の事を思い出しているのかもしれない。
 ウナも産まれたばかりの時はこれくらいだった。


 母の手袋を奪ってダッシュするウナ。鬼ごっこが大好き。3本足なんてまったく問題にならないような活発さだ。
「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 
1217日、抗がん治療2回目の日。
いつものように抗がん治療前のレントゲン検査と血液検査を受ける。
何度も言うが、現状を知り抗がん治療を受けられるだけの体力と、「価値」があるかどうかを判断する為である。

 私たちの最後の希望は、前回1回目の抗癌剤の効果が得られ、ウナの肺に転移した癌の成長がストップをかけられたら、という思いだけだった。
 この私たちの切実な希望に反して
肺の癌は成長を遂げていた
前回のレントゲンと比べてみる。あるものは大きく、あるものはより鮮明に、そしてまた新たらしいものも加わり、といった具合に癌はますますウナの肺を侵略しつつある。
癌が大きくなっていたという結果から再確認することになったのだが、抗癌剤はもとより、転移を遅らせる程度の働きしかしないとの事。
転移が始まってしまったものについては、どの程度の効力を発揮するか(或いはしないか)は医学的にもはっきり分からないとのこと。それでも今後、抗がん治療を続ける意味を見出したくて、先生に尋ねる。

 「抗がん治療1回目から2回目の間、(レントゲンから見て取れる)癌の成長の度合いは如何ですか?通常と比べ、普通ですか?それとも早い方ですか?」

 「そうですね、個体差がありますから何とも言えないのですが、想定の範囲内の成長ではあります。抗癌剤が効いているからこの程度で済んでいるのか、あるいは抗癌剤を投与しなくてもこの程度の進みなのか、それもはっきりとは言えません。過去には転移が始まったものについて(抗癌剤を)使ってみた例がないので比較することも出来ないのです。」

 ウナの肺がんの進行具合は、特に遅いとか早いとかいう事は無いということか・・・・。それにしても転移が始まってから使ったことがない、というのはどうしてか?転移が始まってからは「早い」から使う暇と意味が無いということだからか。答えを聞くのが怖くてそれ以上は聞けなかった。
 意味については確かに効力が確認されていないのだから、とても高額な抗癌剤を買ってをドブに捨てるようなことになるかもしれない選択はしないという懸命な飼い主が多いのかもしれない。

 こういったことから、私たちはしばし話し合って考えた。この
予定していた2回目の抗がん治療を実行するかどうか
先ほどのレントゲン検査で癌の成長が止まっていた、或いはかなりゆっくりなになっていた、などの良い結果が得られていれば、悩むことはない、即断しただろうけど、ウナの肺がんは素人目にもはっきりと成長していた。打ったところで今後の効果も期待できるのか、効果が出たとしてもそれが抗癌剤によるものなのかも判断できない。
でも、唯一、幸運な事に
ウナにはこの抗癌剤による副作用というものが殆どといっていいほどないのだ。
ウナにしてやれること。
もちろん毎日
マイタケプロポリスは食べさせている。でも、それは短期的なスパンで効力を発揮してくれるものではないし、正直気休めだ。積極的な延命治療方法といえば、残るはもうこの抗がん治療しかないのだ。
「効果のほどは分からなくても、副作用がないならやろう。」
目に見えないし、確認できなくても前回打ったからこそこの程度で済んでいるかもしれないのだ。ウナがこの抗がん治療によって苦しめられるなら選択しないが、そうでないならやはりやれることは何でもやりたい。先生ともディスカッションしながらそう決めた。

 今回は初回で一度やっている為に、少々嫌なことをされる、と分かっていたのかちょっと鳴いたりした。でも針が入って点滴が始まると大人しく協力的だ。
今日は前足の血管が見つかりにくかったので後ろ足にしました、と先生が仰った。流れを滞らせない為後ろ足をやや伸ばした状態で保つようにと言われたので、ウナにそのこと2~3度繰り返し話すと後は殆ど動かず同じ角度を保ってくれた。

 
3度目はどうなるだろう。いずれにしてもまたレントゲンと血液検査をする。レントゲンから更なる癌の成長が見て取れることは逃れられないだろうけど、抗がん治療を続けるかどうかの判断はまた難しくなる。
目に見える副作用が出ていないといっても、
抗癌剤の身体に及ぼす影響やストレスは大きいものだと言う。
そう言ったストレスを与えず、精神的に快適な環境、
もっと生きたいと思える状況を作ってやることに専念する事もひとつの方法だと先生は仰った。
 次回、急速な成長が見られれば3度目の抗癌剤投与はもう無いだろうが、そうでない場合はきっとものすごく悩む事になるだろう・・・・。

 しかし、ただただ驚くのは
肺がんの成長に反してのウナの元気ぶりだ。文字通り日に日に元気になっていく。あのレントゲン写真はウナのものではなく取り違えられたのではないかと思いたくなる。
 3本足がなんだ、肺がんがなんだ、ウナはこんなに幸せそうに遊び走っている。くよくよすることを知らないウナのその姿をみて、
今を生きる事がどんなに素晴らしいかを思い知らされ、また励まされる。
 こうやって我々は
幾度と無くウナに助けられてきたウナが居るから頑張れたと思うことは数知れない。
そう思い、情けなくもまた涙が出る。
ウナは黙って私を見上げている。

<次回へ続く・・・>

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20051215日(木)
ウナのこと-予感と現実-

 お散歩に行きたくて「早く門開けてよ~」と言う状態。愛すべき大きな身体の幼い妹。こんなに元気なのに・・・


 日に日に元気を増すウナ。笑顔や表情がどんどん多彩になってくる。
 元気な時よりも関わる時間が多くなったせいか、どんなに親ばかを差し引いたとしても、ウナは以前にも増して確実に頭がよくなってきている。
「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 
1126抗がん治療の開始の日。
傷口が回復して日に日に元気を増してゆくウナ。
 「副作用を引き起こす可能性のある抗がん治療をほどこさなければならないのか?それにこの子、ほんとに癌なんだろうか、こんな元気なのに」
と出発前にぼやく父。
 「今頃何を言ってるの、癌じゃなかったら脚切ったりもしないし、こんなに長い間苦しめられることもなかったでしょうに、」
 「それに抗がん治療が
始められるだけありがたいじゃない、手遅れなほど(癌が転移して)進行してたらもう何もしてやれないし、これ以上の延命は不可能になるんだから」
とそう答えつつ、近日のあまりに元気なウナの様子から抗癌剤を打つのが怖い気がしていた。

 いつもと変わらない様子の病院。
ただ
先生が居なかった。ウナの担当医は本日はお休みされていたのだ。
各先生の名前が入った月間の日程表を頂いていたのに、すっかりチェックするのを忘れて来てしまった。ウナは担当医になつき始めていたし、また新たにこれまでの流れを見ていない他の先生に診て頂くのは、正直面倒臭かったし、何しろ今日から抗がん治療を始めようという我々にとっては重要な日だったのだ。
それなのに、私としたことが・・・。
なんだか嫌な予感がする。

 抗がん治療には実際、ほどこすとすれば3週間ごとに1本、全4回=12週間、これをワンクールと考え、通常はこれ以上の投与はあまりないということらしい。何故ないか、私もそこのところの説明を理解しきっていないが、それは薬剤の副作用の懸念であるとか、或いは実際はそこまで「生きない」ということなのだろうか。

 以前から
投与の際には毎回、事前に検査が必要だと言われていた。血液検査レントゲン検査。ウナの健康状態のチェック、抗癌剤を投与しても問題ない状態であるかということと、「抗癌剤を打つ価値のある状態か」をチェックする為だ。
後者の言葉だが、先生はもちろんそんな厳しい言い方はしなかった、私なりに要約すると「そういうこと」なのだなと思ったのだ。冒頭に書いたように癌が転移・進行していれば、
高額な薬代と副作用の危険を顧みず打つ必要性がなくなるということなのだろう。

 はじめての男性の先生だったが、
話はツーツーだった。今まで担当医と超えてきた道のりを、改めて逐一こちらの口から説明する必要などなかった。そういう連携の良いところがこの病院の素晴らしいところである。
 ウナはおりこうで診察に協力的だった。ただ検査の為中に連れて行かれる時だけ今までと違ってわがままを言い、
行きたくないと踏ん張った。可哀想だが、「大丈夫待ってるからいっといで!」と声を掛け、後は後ろを見ない。見ると助けてもらえると思って益々頑張るからだ。頑張るだけウナの体力を消耗させる。

 しばらくしてウナが戻ってきた。特に様子に変化はない。
先生は「結果が出るまでそのままお待ちください」と言ってまた中へ戻っていかれた。

 待ちが長い気がした。
元気であどけなく私を見上げるウナの表情を見ると大丈夫、きっと今日から問題なく抗癌治療が始められる、と思える。
それでも、今日病院に来た時から
頭のどこかに居ついてはなれない嫌な予感のせいで落ち着けなかった。暇つぶしに手に取った待合室の本は、文字を眼がなぞるだけでまったく頭に入ってこずとうとう読むのをあきらめた。

 先生に呼ばれた。
手にはレントゲン写真。先生がしつらえられた蛍光灯のボードにかシャン、カシャンと挟む。
何が写っているかなんて素人目にぱっと分かるものではない。
 
「肺に転移像が見られますね。」
すぐに先生が仰った。
 「丸い影が見えます、これとこれと、それからこれも」
中くらいのサイズの
葡萄の粒のような影が転々といくつか見て取れた。
先生は切った
左脚のサイドの肺に多いようですね、と付け加えられた。

 視界が真っ白になった。次に涙が、先生の話を聞かなければ、質問しなければ、でも止められない。次々と溢れてくる。
初めて骨肉腫を告げられた時よりも、ガーンときた。立っている足元がリノリウム張りの床にめり込んでいく気がした。
脚は切っても死なないが、
肺への転移が始まってからは「早い」、抗がん治療をしていなければ3ヶ月、と聞いていたからだ。

 それから私は先生に何も質問することが出来なくなった。
こういうときに父が来てくれていて良かった。さすが、男の父は気丈にも確認するように、ひとつひとつ先生の言葉をオウム返しに繰り返した。

 一ヶ月前、始めてこの病院に来た時に撮ったレントゲンに写ったウナの肺は、それは綺麗なものだった。大きくて丈夫そうな心臓も写っていて、脚は切ったけど転移はない、「やっぱりウナだ!やはり大丈夫だ!」と喜んだものだった。
なのに、こんなに早く状況が変化するのか?
たった一ヶ月で?
以前先生が言っていた言葉を思い出した。「肉眼では見えない、細胞レベルでの転移は始まってるかもしれません。」以前のレントゲンは綺麗だったが、きっとあの時にもレントゲンに映らない微細な癌が巣食いはじめていたのかもしれない。以前の段階では始まっていなかったにしろ、ウナは若い。若ければ若いほど癌の進行は早いのだそうだ。

 治らない病で、「長くても年単位で余命を延ばすことは出来ない」と言われた時も、それでもウナだから、
きっとあと1年いや2年くらいは頑張ってくれるだろうと希望を持っていた。なのにとうとう恐れていた転移が始まってしまった今、ウナの余命は格段に短くなりましたと宣告されたようなものだ。・・・・切った脚の患部は長い時間かかってようやく治り、生活に元気と明るさが戻ってきていたのに。こんなことって、あってもいいのだろうか。

 先生は、今日から始めるはずの抗がん治療について話し始めた。
「抗がん剤は癌を治す薬ではありません。投与することによって今ある癌が消えたて病気が完治する、と言うものではありません。抗癌剤との相性がよく、転移前であれば、癌がある部位へ着き始めること(転移)を遅らせる、という働きをする可能性があると言うことです。」
我々素人でも抗癌剤が完治を促すものではないことは百も承知のこと。
さらに、抗癌剤を使用せず、
民間療法だけでやっていくと言う方法もあると仰る。
 
「どうされますか?」
抗がん治療をするかしないか、我々家族に選択を仰ぐような形で逆に質問された。すこし冷静さを取り戻していた私は、不可解に思い、どういう意味ですかと質問した。
先生の答えを纏めると、
転移が始まってからでは抗癌剤の効果はあまり期待できない、抗癌剤は効くか効かないか相性もある上に副作用を及ぼすリスクもある。今となってはリスクと効果を天秤にかけるなら、効果への期待がリスクより軽くなってしまった、ということのようだ。
 長いこと切った脚の傷口が治してやれず、そのせいで
抗がん治療開始がずれ込んでいた事が痛いほど悔やまれる。

 民間療法の定義を確認すると、流行の
アガリクス茸プロポリスなど、抗がん作用のあると言われている漢方のような生薬を用いるということ。
でもプロポリスならずっと飲ませてきた。こういう類のものが効かないとも言い切れない。でも漢方薬・生薬なんて
長いこと飲んでこそ効果も現れると言うものだろう。ウナの病気にそんな悠長なことを言っていられるはずもない。
死を突きつけられたこの期に及んでリスクも何もない、
出来ることは全部やろうと家族に見解はすぐにまとまった。
先生に今日の通院の本来の目的、抗がん剤投与を御願いする。
 
今回の投与で効果があらわれる(癌の成長が止まる、或いはゆっくりになるなど)かどうか、ウナの余命の長さはそれ次第だ。

 生理食塩水パックに我々が選んだ一番副作用が少ないといわれる、最も効果な抗癌剤が注入された。細い管はあらかじめ準備されたウナの前腕にさされている針に繋がれた。30分かかってウナの体内に落とされる。ウナはじっとしている、協力的だ。犬には、いやウナには自分の中の何か不都合なものを治そうとしてくれているのだ、と分かるのだろうか。そう思わなければ説明がつかないほどおりこうさんだ。

帰宅。
ウナはいつもどおり、病院帰りで疲れたものの元気な様子だ。
何も変わりない。
肺への転移が始まった、その事実だけが今までと違う。

 大きな身体のウナを後ろから抱きしめる。温かいウナの胸をなでる。病気なのはウナなのに、この
ウナの体温が私を慰め、今ウナがここの居ることが心からありがたい気がした。
 
 この1回目の投与から1週間後再び、
白血球値をチェックの為病院へ来た。抗癌剤が悪さをして白血球値を下げることがあると言う。その場合、怪我をしたりすると危険だし、もとより次の抗がん治療ができなくなるということだった。幸いなことに薬剤を拒絶したり、吐いたりすることもなく1週間がすぎたし、血液検査の結果は問題なし、むしろ健康な犬より健康と言ってよかった。
 一回目の投与は無事に済んだことが確認されたわけだ。しかし次の
2回目の投与を行うか行わないか、それは3週間後レントゲン検査の結果によって決まる
癌細胞の成長がゆっくりになった、あるいは良くすれば止まっている、と言うことが認められれば、抗癌剤の効果があったと見なし、
2回目以降の投与を行える。抗癌剤の効果がなく癌細胞に通常どおりの成長が見られた場合、副作用を与えるだけの薬となり、これ以上投与する意味はなくなる。そして延命の為のこれ以上の手立てはなくなるのだ。

 
<次回へ続く・・・>

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2005123日(土)
ウナのこと-一時、回復の兆し-

 温かい秋晴れの日。お散歩がうれしくて、笑顔のウナ。
ご機嫌のときはすぐにわかる。話しかけると反応が良く、表情がとても豊かになる。
 年賀状用に写真を撮るというので煩わしい介助用ハーネスやサポーターを外してやったのでなおさらご機嫌だ。来年は犬年、だからウナにはまだまだ頑張ってもらわねば。


緑の自然の中で。動物ってやはり屋外に居る時のほうが生き生きして見えるな・・・。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 新しい病院、AWCに通い始めて1ヶ月がすぎようとしていた。
これまでウナの様子をみながら、
「肩から外す手術」をするかどうかを考えていたが、当然家族は皆誰もができるなら手術を避けたい気持ちだった。
 AWC初診の検査の時点では、
「現段階で肺などへの転移像は見られません。血液検査の結果からも手術に耐えうる体力ですが、もう少しあとになってやはり手術が必要だと言うことになっても、その時はウナちゃんの状態が変わっているかも知れず、必ずしも手術が可能かどうかはわかりません」
担当医にはそう言われていた。やるなら今しかないと言う。
 
 先生の言葉の意味は、がんの転移像が
レントゲンに映るようなサイズになってからでは、痛みを取り除く為の手術をしたりする意味がなくなる、癌の悪さはそれ以上にウナを苦しませるであろう                           から、だ。
だからこそ、この傷を治すべく手術をするなら早く、しないなら抗がん治療を始めなければならない。
これまで抗がん剤は、前の病院での手術後に2度投与しただけで、これではまだ不十分だろうと言うことだった。これも転移してからでは遅い。今だって
癌細胞はウナの身体の中を血液やリンパの流れに乗って、グルグルと巡回し、「さて、どこに着いてやろうか」                   としているのだと言う。その「着く」事を遅らせる、着いても進行を遅らせることが抗癌剤のできるかもしれない仕事だと言うことだった。

 
抗癌剤の種類について説明を聞いた。色々あるが、どれも動物用と言うのはなく人間に使うものと同じものを使用する。体重当たり何ミリグラム、という使い方をするが、他のものより一番副作用が少なく、効果も高いとされる抗癌剤の値段は、ウナの体重だと12万~15/1。これを4回、投与できる限界の量まで入れる。この抗がん治療だけで4550万円になる。これまでの手術・治療にかかった費用だけでもすでに100万円以上・・・ウナはペット保険というものにも入っていなかった。骨肉腫という重篤な例だったにしても、ペットの病気治療にこんなにもお金がかかることを知らなかった。しかしそれ以前に、ウナがうちのウナがこんな病気に犯されると誰が想像できただろう?
 それでも、この
ウナの命が少しでも健やかに、そして少しでも延ばすことが出来るなら、それは全く惜しくないお金だ。家族全員がそう考えた。
ウナは病気になった今でも、お金では買えない大きな、あらゆる幸福をもたらし続けているのだから。

 抗がん治療はの根本は細胞の成長を遅らせること。身体の中にある癌がどこかに着いたり、大きくなることを阻もうとする治療法         だ。だが悪い癌を阻止する効能と同時に副作用ももたらす。癌が悪玉とすれば善玉に当たる良い者、傷を治すのに活躍する白血球などの働きも抑えてしまう事となる。
だからよく聞くように、抗がん治療をする人間でも怪我しないよう特に注意を払ったり、事前の手術があれば傷が癒える頃を見計らってから投与し、無菌室などに入れる。
 
 この4ヶ月間、頑固に塞がらない傷口にある穴。そこから細菌に感染し、出ている膿みやショウ液が止まらない限り、抗がん治療を始めるのを躊躇われた。
断端にはすぐ近くに
骨髄があるため、細菌を放っておいて断端から進入し脊髄などに回ればすぐにも生命に危険がある。だが、抗がん治療開始にも一刻の猶予もないのだ。
最後はどちらを優先するか、一か八か賭けにでるしかないのだろう。

 でもその後、ウナの痛みは少しづつだが軽減し初め、結局、我々は
「手術はしない」と言う答えを出した。これでもう後には引けないかもしれながそれも仕方ない。絶対確実だ、と言えることなんてこの世に一つもない。

 今ある縫合は出血した際に以前の病院で再手術した時のものだったが、なかなか乾いて着かない傷が開くのを恐れて長いこと抜糸してもらえずにいた。
糸は人間と違い、
ワイヤーだ。もちろんナイロンや吸収糸などのワイヤー以外のものも動物に使用するがワイヤーで縫うとその輪の形状は保たれるため、傷全体が多少腫れたりしても糸のように食い込んで肉を切るなどのデメリットが少ないという理由から、施術した先生はワイヤーを採用したのである。
 しかしウナはワイヤーを捻った端(ワイヤーはそれぞれ単独で捻って留めてある)が床に触れたり、保護のため着せているTシャツに少しでも引っかかるとイライラするように何度も肩をびくっ、びくっを上げ下げするので、不快なんだろうなと思っていた。一緒に生活しているとワイヤーが
ストレスになっていることは明白だったが、主治医は「まだ抜糸はしない」と言うのだから我慢我慢、と思っていた。
 しかし病院をAWCに替える前ごろから感染症(化膿している)になっていて、ワイヤーの
穴周辺がふやけたような感じになっていた。
これを見て、我々は当時まだ交流を保っていた主治医に相談し、
自分達で責任を持つので「もう抜糸して欲しい!」とお願いした。縫ったのは主治医なのだからAWCではなく主治医に御願いするのが筋だろうと思ったのだ。
ところが一応、「ではそうしましょうか」、と言った主治医はその後連絡が取れなくなった。それなりに一生懸命やってくださった主治医だったが、やはり結果をまったく出せなかったし、今だからわかるが、この大型犬の骨肉腫について主治医は
対応しきれていなかったように思う。獣医さんにも得意不得意、経験のある方ない方、いろいろなのだと思う。
人間同士のつながりや義理も大切だが、なにしろ我々は
大切な大切なウナの命を賭けているのだ。その大切さの前では何者も大事ではない。

 そういうわけでAWCで抜糸をしてからウナの傷口は急激によくなり始めた。
並行して痛みも激減してきた。そうすると
ウナの顔がまず違う。笑顔だ。
痛みも傷口もひどく、外出や人に会うことも避けさせていた頃は、朝起きてからご飯を食べてもまたすぐに床に戻ってしまい、眼に力もなくグッタリしている生活が続いていた。
抜糸~回復後は散歩や人に会う事も解禁になり、明るい以前のウナに戻った。散歩に出れば
3本足なのにものすごい勢いで走る走る。私が仕事から帰ると、突き当たりの壁にぶつかる勢いで廊下を走ってきて出迎えてくれ、馬がギャロップするように私の周りをぐるぐる回った。以前の元気なウナに戻ったのだ。

 ここまで回復し、後はまだ少しだけ出ているショウ液が出なくなるのを待つだけ。抗生剤もまだ少し残っているし、これを飲みきる頃には良くなるだろうと確信していた。
だから抗がん治療はもう少し、もう少しだけ待とう。

そう決めて、1週間のうちに
ショウ液は完全に止まった
4
ヶ月、長かった!
ウナおめでとう、ようやく良くなったね!と家族は皆大喜びし、長く緊張し続けた気持ちは一瞬緩んでほっと一息つかせてくれた。
ワインでも開けようか、と言いつつ機会を逃して訪れた1週間後の抗がん治療開始の日・・・


<次回へ続く・・・>
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20051126日(土)
ウナのこと-新しい病院で-

 日向ぼっこするウナ。あまり外に出ることが出来ないウナは午前中の日向ぼっこが楽しみだ。
窓を開けてやると外の空気をクンクン嗅ぐ。風や草木や、土、近くを散歩する友達たちの匂いを少しでも感じようとしているのだろう。


 長い閉じ込め生活に表情のなくなってきたウナの為、やはり傷口の心配ばかりでなく、心の元気を優先しようと3日或い5日に1度くらいは外へ、芝生のあるところへ散歩に出すことにした。
 この公園までは車で5分。長い距離歩くのはもう無理だし、残った片足への負担を少しでも減らす為だ。
 外に出ると時は画像の通り、フル装備になる。まだショウ液の止まらない傷口をカバーするウナ様のTシャツ、その上から布製の介護用ハーネス、背中側にカバンのように取手がついており人間が補助しやすい。そして前片足の負担を軽減するために作った手作りのサポーター。Loftで手に入れたウェットスーツの素材をウナの足首に合わせてカットし、マジックテープを縫い付けて開閉出来るようにしてある。

久しぶりの日中散歩にウナの笑顔!

*「ウナのこと」シリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!

<前回からの続き>
 10月23日、
断脚手術から丁度3ヶ月がたった。
今日は新しい病院AWC(アニマルアニマルウェルネスセンター、以下AWCと呼ぶ)で
初めての診察に行く。
 
 ウナは今朝から私こと「お姉ちゃん」と、母「かあさん」と共に大好きな車でお出かけできる喜びと、「何かあるらしい」というちょっとの不安で
ソワソワしっぱなしだ。出かける準備をする我々の後を3本足でぴょこぴょこついて回っていた。
 自宅から1時間かけて
西東京市にあるAWCに着いた。
ウナではないが、我々も新しい病院に対する期待と不安でちょっとドキドキする。ウナの担当を御願いした先生は、先日私が電話で直接お話した
女性の先生だ。セカンドオピニオンを決めるきっかけになった例の本の著者の一人でもある。

 結果から言うと、先生も病院も非常に良かった。
何が良かったのかと言うと、
「プロフェッショナルである」、ということ。
 患畜の
家族が安心して任せたいと思えるような清潔で温かみのある
院内、先生の患畜の状態にたいするスピーディーな把握、大勢いるスタッフとの連携、伝達の良さ。
こちらが素人であることを前提に、わかりやすく、そして根気良く話を聞き、そしてわかるまで質問させてくれる雰囲気を持っている。
 なにより初診だったのにも関わらず、これまで溜まりに溜まっていた
疑問と不安に対する具体的な対処と説明がすぐその場で与えられた事におどろいた。
そしてその結果に基づいてこれからの具体的な治療の展望、を話していただいた。
 
セカンドオピニオンを探そうと決めた事、そして選んだ病院が間違いではなかったと思えることが非常にうれしい。

 診察が始まった。
ウナは女の子だが男性より女性が好き、担当が女性の先生で良かった。お陰で、初めての場所でも
それほど緊張していないようだ。
 先日の電話の時に既にウナの病気のこと、これまでの治療の経緯などは話しておいた。その上でまず初めに先生は、
「ウナちゃんをどうされたいですか」
と我々に質問された。
正直この質問には面食らった。私たちにとって当然答えはひとつだし、病院に訪れる者全てが同様の希望を持っているはずで、獣医師がその気持ちを改めて訊ねるとは思えなかったからだ。
えっ?、と言う顔をしていると先生は、
 
「骨肉腫は非常に性質の悪いガンです。残念ながら命を助け、寿命を全うさせることは現時点の獣医療では不可能です。だから、どういった形で残りの余命を過ごさせてあげるかという点に治療の目的が絞られるということです。そのことをお分かり頂いていますか」
と続けられた。単刀直入だったが、その言葉の中には家族の辛さを理解するがゆえのやさしさも感じられた。
だが、これらの意味を分かってはいるのものの、希望の光だった新しい病院の先生に頭から念を押されてしまって、しばしまた悲しい気持ちがぶり返してきた。
 私たちの希望もまた、長くない
ウナの残りの生活を何とか楽に、楽しく過ごせてやりたい、そのために取り除かなければならない問題を早期に解決したい、とそう告げた。
先生はその通りですね、と答えられた。
 
 それから私たちは具体的な質問をした。
何故ショウ液がこれほど長い期間で続けているのか?
何故2度も出血しなければいけなかったのか?
なぜこれほどまでに痛みがあるのか?


 抗がん治療などの問題はとりあえずおいておいて、とにかく当面解決したい疑問はこの3点だった。
先生はこの
①②③全ての原因は、ウナの切った脚の残された断端の長さにあるようだと仰られた。
 
 骨肉腫は、原発の骨から関節を超えて拡がらないとされているから、肉腫の出来た骨の次の関節からそれ以上を切除すればいいいいということになる。ウナの手術をした主治医はこの理論と、ある理由から上腕骨3分の1を残したところで断つという選択をした。
 AWCの先生はそのことが何故、今のウナの生活を苦渋に満ちたものにしてるか、その理由を次のように述べた。
 
 通常ならば、骨肉腫に罹ると肩関節もしくは肩甲骨などの
関節から外す、そのほうが組織を(骨や筋肉・腱などの)途中で断ち切らないで済む為、回復も早くなるというのだ。
そして
骨を切るということは、か・な・り痛い(骨膜が痛いらしい)、ということ。そして骨を切ると手術自体が大掛かりになり、当然手術時の患畜の負担が大きくなる。
さらに、
短くなった脚は使い道がない上にむしろ身体からとび出ていることで障害となる。まさにウナの状態はこれに当たる。
ウナの切断された上腕骨は12~13センチ、肩関節は体側に入り込んでいる為、身体からは7~8センチほどしか出ていない。この断端は座ったり立ったりの時に邪魔になり、断端がどこかに
当たったりすることで酷い痛みを伴っている。
 傷口がなかなか良くならないのは、本人は足が無くなった感覚をを持たない為に、何かの動作と共に断端を動かしてしまうことで
傷口の定着が悪くなる。また同様の理由からぶつけたりすることで炎症を起こす。これが考えられるショウ液と出血、痛みの原因だろうということだった。
 
 では
何故、主治医はこの長さを選択したのか?、ということに遡るのだが、それはウナのこの辛い現状の原因が明らかになった後でも責める気にはなれない。主治医は大きな身体のウナが、「まだしばらくは生きられる」という前提、希望をもっていて、その場合、歳を取って3本脚で歩けなくなった時、「義足」が必要になると踏んだのだ。義足をつけるには義足を装着しうるだけの断端の長さを残しておく必要がある。それに、万が一まだ何も知識のない時に手首近くにあるガンの為に「肩から落とします」、と言われても容易には納得できなかっただろう。
 この日記で
は述べてこなかったが実は私も一時期、本気で義足をオーダーしようと考えていた。なぜならウナが3本脚で歩けたとしても、残った片足の負担を軽減させてやりたい、なんとしてもこの足を死守せねば、と思ったからだった。犬の義足は市場に出ていないので、作制について調べている途中から痛みが強くなってきて、とてもではないが異物をそこに取り付けられる状態ではなくなり調査を一時中断した。(人間の義足の会社だったが犬の義足を作った経験をお持ちの<川村義肢製作所>の担当の方、大変快く応対してくださったこと、この場を借りて御礼申し上げます。)
そんな経緯もあったし、良かれと思って決めた長さだったのだから、今となってはもう仕方がない。

 AWCの先生の考えは根本的に違った。ウナはもうそう長くは生きられない。肢を切った意味あいは
救命ではなく、延命、及びそうとうの激痛からの開放。痛みから解放された患畜は次の転移が始まるまでの間、一時的にとても元気を回復し、3本足で上手に身体を操れるようになるので特に義足は必要ない、だから断端を中途半端に残すのではなく、むしろ何もない状態にしてやるほうが(そして上で述べたような様々な理由から)得策だと考える、と仰った。
 
 さらにこれには驚いたが、いつ脱せるかわからないこの状態から開放するのには
肩からの切除、再手術をするという方法があるとも仰られた。ただ、もちろんあくまでも選択権はご家族にあるのですが、と付け加えられた。
 
 先生はこのような話をてきぱきと順序だててお話され、なおかつ我々の質問も快く聞き、
時間を惜しまず丁寧に答えてくださった。さらに今後の具体的な対策としてまずは検査、ショウ液の出続ける原因を突き止める為のスタンプテスト(プレパラートに液を採取し、顕微鏡検査をする)、現在の健康状態、転移の問題などを調べる為の血液検査、とレントゲン検査をしましょう、と提案された。
 これらのテストや検査の為、ウナは一時的に中部の医師達のワークスペースへ連れて行かれた。そのことにも驚いた。以前の病院では
飼い主に当てられた役割が大きく、診察治療の過程全てに付き添い、補助してきたからだ。以前にも述べたが最初のレントゲンの時も、麻酔が必要だという医師に首を振った為に撮影室まで防護服を着用して入ったのだった。はたしてウナは大丈夫だろうか、前回は我々家族でも汗をかきかき必死にウナを言いくるめ、押さえつけてレントゲンを撮ったのに、AWCでは麻酔も必要ない、スタッフだけで大丈夫ですと言う。
 しばし不安な気持ちで待つ。中からはウナのわがままや痛みを訴えるような鳴き声さえも聞こえてこない。その不思議に母と顔を見合わせていた。
それからいくらか時間がたち、ウナが中から出てくる。大丈夫な様子だ。

 スタンプテスト検査結果、
ショウ液の内容に細菌が認められた、感染症を起こしている。傷口が閉じないせいで感染したのだろう、また感染しているから長引くという悪循環も考えられる。また、断端のすぐ近くに骨の切断面、骨髄があるのでほうっておいては危険だ。これには抗生物質の錠剤で対処することになる。
 レントゲン検査結果。肺を身体の上からと左右横から写したものだ。断端の部分も写っている。いまは
「肺も断端も綺麗です。」と先生。
ウナの肺に影は見られなかった。レントゲンで写さなかった部位にも無論転移の可能性はあるが、原発の部分と一番近い臓器・肺への転移が認められない。ただ最低でも
5mmくらいにならなければ肉眼では見られないという、いずれ起こる転移は免れないだろうが、それでもまだしばらくは大丈夫だと一安心した。血液検査の結果も良好だ。これは血小板や白血球値、肝・腎臓など値が正常であるかを見るため、抗がん剤を投与しても問題ないかどうかの判断基準ともなる。

 さて、これでこれからの治療方針を選択するための基礎的なデータが出揃った。
細菌に感染した断端は抗生剤で治療する。でも断端の中に問題があれば、化膿を繰り返す可能性も無い事はない。それに、このいつ終わるか分からない痛みをどうやって取り除くかという問題だが、先生の仰るとおり中途半端な長さが全ての原因なのだとすれば、肩甲骨から外す手術を考えなければならない。前回のの日記で記したが、マージン(病理組織)が確実に切除されたかの病理組織検査の結果は、あと1mmというギリギリのところで切除されたとある。正直、そんなのウソだろ!という結果だったし、到底安泰とは言いがたい。

 再手術か・・・・。
残された時間が長くないからこそ、また手術の苦しみを味わわせたくない、と同時に長くないからこそ早くこの日常的な痛みから解放してやりたい・・・、どちらが正しい選択なのか簡単に決断できるものではない。

 様々な検査と先生との充分なディスカッションを終えたのは2時半。9時に病院についたから
実に5時間半の格闘だった。
3
人はグッタリ疲れて帰途につく。
それでも爽快感と満足感があった。これまでの悶々とした「どうして!」という気持ちに
白黒付けられたからだ。
これからまた家族に今日の報告と説明をし、今後、与えられた
選択肢について答えを出していかなければならない。

<次回へ続く・・・>
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20051112日(土)
ウナのこと-セカンドオピニオンという言葉-

 まだ骨肉腫が発覚する前。
いつも行く散歩道で私と犬好きの親友と3人で散歩中、ウナは上機嫌の笑顔だ。都内ながら近隣は緑もまだ残り、緑地歩道やせせらぎ公園などもある。
毎朝夕の散歩で行き会う散歩仲間でウナを知らない人のほうが少ない。ロットワイラーと言う犬種は日本ではまだ珍しいから。今はまだその仲良くしていた散歩友達にも会うことも出来ない。


 私の従姉妹が飼う柴犬マオちゃん。ウナよりお姉ちゃんで仲良しだ。 おそろいでエリザベスカラーをしているのは、マオも緑内障の手術をしたからだ。この疾病でマオの片目は殆ど視力を失った
*「ウナのこと」シリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 724日の断脚3ヶ月間近くが経とうとしていた時。
ウナ本人初め、家族全員が突然降って湧いた不幸に無我夢中にやってきたことを振り返った。
 この間、ウナは激しい痛みと傷口が閉じずに常にショウ液が出続けることに阻まれ、普通に日常生活を送ること出来ずにきた。
今のウナにとって必要な普通の日常生活とは、
3本脚ながら制限されることなく、自由に動いたり大好きな散歩に出られること。そのためには、
  
わずらわしいエリザベスカラーをつけなくとも良い、
  塞がらない傷口を一日3回消毒されなくとも良い、
  乗りたくない病院の診察に上がらなくとも良い、
  室内での排泄を強要されなくとも良い、
  そして、この酷い痛みに耐えなくても良い。


 これらの問題を取り除き、普通で、そして有意義な生活をさせること。
それが余命は長くないと宣告されたウナにとって、一刻も早く必要な状態なのだ。
この全ての問題は、本当はもっと早い時期に解決されて然るべきだったのに
もう3ヶ月もこの状態に耐えさせられてきた。

 苦痛の生活を強いられたウナの表情は次第に暗くなって、あの
ウナの笑顔が見られなくなってきたことに私は焦った。
いったい今までなにをしてきたんだろう。
もっと早い段階で現状の治療に見切りをつけ、この状態から抜け出す方法を見つけようとするべきだった。

 セカンドオピニオンを探す。
現代の人間の医療では、日本でもかなり普通にその言葉を聞くようになってきた。セカンドオピニオンとは
第2の意見1人の主治医を持つ他に、他の専門医などの診察を受けたり見解を聞くことだ。そうすることでより深く病気を理解し、患者や家族自身が納得できる治療や手術の方法などの選択できるようになる。
同じ医師でもそれぞれに
得意分野が違うのは当然のことだ。
だからウナの病気、骨肉腫、腫瘍(ガン)の専門医、そうでなくとも多くの症例を見ている獣医師を探そうと考えたのである。探してここだ、と決めた病院が自分たちの期待に応えるものではなかったとしても、それはそれで病気とは、骨肉腫とは、それほどまでに理解不能で克服しがたいものだと納得できるだろう。
願わくば今までの
不思議、不安に対する答えをくれて、さらに今後の具体的な治療方針を打ち出してもらえたらこれ以上のことはない。

 セカンドオピニオンという言葉を意識し、捜さなければならないと思ったのは従姉妹の紹介してくれた本がきっかけだった。
画像左下の柴犬マオの飼い主である私の従姉妹は、普段からよくウナの事で相談に乗ってくれていた。彼女はウナをとても良く可愛がってくれており、ウナも彼女が遊びに来る日は猛烈に喜んで出迎える。
書店で彼女がある本を見つけ、教えてくれた。それが、
「ペットががんになった時」(三省堂、獣医師 鷲巣月美 他 著)
という本だ。

 初め私はその中に書いてあるだろう事を想像し、読みたくないと思った。
骨肉腫に関することはネットなどから大概のことは知りえていたし、
これ以上ウナの死について考えなければならない苦痛を進んで得ようとは思えなかったから。
でも書店に行った時、実際にその本を手にとって少し中を拾い読みしてみると、意外なことにやはり読んでみようという気になった。
 
いつまでも逃げていてはいけない、骨肉腫でなくとも、
ウナも、そして我々
生きてるものはいつか死ぬ
ウナは不運にも、その余生が短くなってしまうだろうという宣告を受けた。
それでも今すぐ死ぬというわけではない。
 ならば、
今、生きているウナにしてやれること、貴重な今の時間を、
ウナにとって幸せな時間にしてやることが何より優先される。
私たちの悲しみはその後のことだ。
そして一晩で本を読み終え、
ウナの死と生とにまっすぐに向き合う心の準備をした

 それから私はまたPCにかじりついて、いろんな腫瘍に詳しそうな病院や獣医師を探した。
出てきたデータを元に家族会議にかけて、どの病院にするか検討した。
 
腫瘍科を持つ獣医学科を持つ大学病院が望ましいが、だいたいは1ヶ月以上待たされるという。ウナの状態は、今はまだめだった異常は見られないものの、転移が始まればそれからは早い事が予想されている。
猶予がないことを考えてまずは診察を受けられる信頼できそうな病院。
アニマルウェルネスセンター(以降AWCと呼ぶ)、例の本「ペットががんになった時」の著者である鷲巣月美先生が運営する個人病院に行くことに決定した。普段、鷲巣先生は大学病院の方に勤められており、日常的にはAWCにはいらっしゃらないとの事だが、他にも腫瘍に関して多くの症例を診られた先生がいらっしゃるようだった。
もしも個人病院では設備的な問題がある場合では、鷲巣先生の持つ病院であるし、必要に応じて大学病院に紹介もしてもらえるかもしれない、という腹積もりもあった。
予約をする。
後はウナがその新しい病院を受け入れてくれるか、だ。


<次回へ続く・・・>

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2005118日(火)
ウナのこと-期待はずれの予後-

ショウ液や組織液が絶えず出て、そこらじゅうを汚すし、乾かす為カーゼなどで覆うことが許されていない患部をバイ菌などが守る為、床にペット用おしっこシートを引く。ウナが移動することろに、追いかけていって・・・・この習慣をもう3ヶ月続けている。
ウナは行きたいことろへ自由に行くので、常に人間は振り回されている。腰が痛い。


患部から出る血が玄関の床に溜まっていく。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


<前回からの続き>
 術後すぐ、ウナの先生は
「もうこれで大丈夫でしょう、血の一滴も出ていないし傷が充分付いたら抜糸します。そしたら元の生活ができますよ。」
と言った。
その当時はガンなどと言う言葉とまったく無縁で、当然動物の骨肉腫についての知識は殆どないと言ってよかったが、
それでも発覚から検査、手術、退院までの間に必死で情報を集めた事から
総合しても先生の言う言葉は希望的、或いは家族に希望を持たせんがため、としか言いようがなかった。
 なぜならその殆どの文献でこう言っているから。
骨肉腫になって助かることはない。(抗がん治療などで多少の延命が出来てももともとの天寿を全うできることはないという意味)
 それでも人間は甘い言葉に弱い。その甘い言葉を信じたかった。
頭の片隅からしつこく離れない嫌な感じを忘れようとしながら、
なんとなくこのままうまく傷が完治して3本足で元気に散歩に復活し、
天寿とはいかないまでも後3年、いや少なくともは2年くらいは生きてくれるのではないか、なんとなくそう信じた。

でもそんな希望的な未来から、すぐにいまこの現実の厳しさに翻弄され始める。ウナの傷口が、良くない。
メロンの様に大きく腫れた患部はなかなか小さくならなかった。

マットレスステッチと言うのだそうだが、縫合口は切断面ともうその少し内側深いところと2重に縫合してある。中でショウ液や組織液、血液
流れていくべき行き場を突然失ったあらゆる液体が、

メロンに溜まっていった
しばらくすると腫れはもっと大きくなり、マットレスステッチの内側の縫い糸が肉の中に食い込むようになる。
糸が食い込んで肉を切り、切れると中から液体が溢れでてくるようになる
大きいし運ぶのにリスクのあるウナのため、術後しばらくの間は、3日に1度先生には往診に来ていただいていた。先生はステッチの内側の食い込んでいる糸だけを選び一部抜糸した。
拘束から解消されると、今度は種々の液体は止まるどころかその量を増して小さな糸穴を大きく広げた。穴はひとつにとどまらず、種々の液体は行き場を求めて傷口周辺のいたる所に血ぶくれや水ぶくれをつくり、潰れて、長いことかかってようやくかさふたになり、これを繰り返す。
 この時より量は大分減ったが驚くことにこれは術後3ヶ月経つ現在も続いている。

そして
痛み
痛みは長いことウナを苦しめている。もともと病気など無縁、ウナがどこかを痛がる所を見たことがなかった。
「うぉおうぉおおおおおお~んん・・・」
苦しく、悲しい長い叫び。この声を聞くたびに心臓のある部分がぎゅうっとつかまれる思いだ。
長いことこの痛みがどこから来るのか判明しなかった。手術をしたんだから当然患部だと考えるのが普通だが、骨肉腫は転移する。
新たに転移したどこかが痛いのではないかと疑うたびに恐ろしくなる。なぜなら次の手術はもうしないだろうから。
 利口なウナでも痛みがどこから来るか教えることは出来ない。様々な動き、ポイントで痛みが発生してくる為、長いこと原因・発生源を特定できなかった。
観察に観察を重ねたがどうやらやはり患部、丁度
骨を断絶したその切り口がある部分だということがわかった。
 痛みはある程度の期間続き、少しずつ収まり、しばらくは安息する。
そしてまた何かの拍子でぶり返し、1週間或いは10日間酷い痛みが続くことを繰り返している。実はこの
痛みは現在も続いている。断端の箇所の痛みの原因と対処についてはまた後日触れようと思う。

出血
どうしてここまでウナを苦しめるのだろう。
術後3ヶ月間、これまでの間に
2度の大出血をしている。
抜糸後、患部はショウ液の排出のせいか、着いていたところが一部開いてしまった。その部分からの出血だ。きっとウナが活発なのも災いしているのだろう。
 病院へ連れて行こうと、ウナを立たせていると床にボタボタと血だまりが出来るほどだ。
カーゼなんかでは利かず、新しいおしっこシートで患部を圧迫しつつ病院に向かった。先生は
即手術を決めた。なぜなら患部の中に血の溜まった袋が出来てしまっており、早期に取り除かなければ常に傷口が閉じず、感染症などが懸念されるからだと言う。
大量の血を見て、こちらも血の気を失っていた私と母は、ろくな質問も出来ず先生に従うしかなかった。
 しかし突然の手術。麻酔・手術に執拗に敏感な父が聞いたらどう言うだろうか。ウナは我々にとってもだが、父にとっては何より大切な存在だったから。
手術は終わった。時間は短かったが気が遠くなる思いだった。
断脚の後、
もう二度と手術なんて辛い思いをさせないよとウナに誓ったのに、また手術。
でもほんとにこれで何とかよくなるだろうと思ったが、またしてもそうはいかなかった。また出血したのだ。この初めの出血(95日)から1ヶ月もたっていなかった。この時は
「再再手術なんてもう嫌です!」と時間はかかったが、患部をバンデージできつく圧迫することで止血する方法を選択した。

いままで先生の言うとおり、お金がかかっても何でもウナの為、と
なんでも言うとおりにしたがって治療を受けてきた
それなのにどうして、どうして良くならない?
ウナはいつまで苦しめばいいの?
術後、もう心配ないと言われ、毎日のように診察を受けてなお、これだけの長い間改善しないのか。骨肉腫が、ではない。この患部をとにかく直して欲しい。
 
 ウナは散歩に出て外の空気を吸うことも、友達に会うことも我慢し、排泄だって嫌だった家の中で甘んじて、診察に行っては乗りたくない診察台に乗り、傷口をいじられても治療に耐えてきたんだ。
ウナだってとても頑張ってきた。
この生活が3ヶ月、いい加減ストレスが溜まって、ウナのあの笑顔が見られなくなっていた。
我々家族は皆、そのことがぐるぐると頭を巡り、苛立ち、怒りと言う形で出てくるようになった。
どうにかしなければ!今のウナの先生たちはこの状況から連れ出してはくれない。

<次回へ続く・・・>

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20051028日(木)
ウナのこと-傷跡-

手術後3日目。わかりづらいが黄色いエリザベスカラーをしている画像向かって左上のほうが頭、健常な右手を下にして寝ている。


犬の骨格図。(どこかからお借りしているんですが、改めて探すとどこのサイトから来てるのかわからなくなってしまいました。ごめんなさい・・)


手術後2週間。手術翌日から三本脚で立ち、1週間後程度からバランスはよくない歩くことが出来るようになる。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は、事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 <前回からの続き>
 本当はもっと至近距離から撮影したものがあるけれど、その画像は見慣れた私でも見るに忍びない・・・、気の弱い人なら吐きそうになるかもしれないと思い、公開するのは止めにした。
 肩周辺から左前脚のあった部分は、
メロンを半分に切ったものを取っ付けたように大きく腫れていた
普段はなるだけ乾燥させておくためにカーゼなどで覆うことも許されておらず、そこに25針分も這いつくばっている縫い跡は、毎日見ていても辛かった。
本来なら、そこにはウナの鹿のようにしなやかな左脚が続いていたのだ。
 大きく腫れるのは、そこに続いていた脚へ流れていくはずの血液やその他の体液が突如として遮られ、
行き場を失って立ち往生しているからだ。

 手術の内容が実際にどんなものだったかを話したいと思う。
それにはまず犬の骨格と、骨肉腫の場合の切除範囲について話さなければならないが、左の骨格図・真ん中、ウナの画像・下を見ていただきたい。
地に着いている部分、趾骨~中手骨(足底の骨)、その上のカーブする辺りに小さい手根骨、その上の身体に対し、まっすぐに伸びている様に見える部分は、前側に橈骨、後ろ側に尺骨と2枚あわせの構造になっている骨がある。
その上には肘関節があり、首へ続く胸の曲線の部分に沿った形で短い上腕骨があり、肩周囲、身体の側面に肩甲骨がある。
骨肉腫の場合、その部分だけを取ればいいというわけではなく、腫瘍のある骨につづく関節からそれ以上を取るのが普通らしい。通常、腫瘍は関節を超えて広がらないとされているが、健常な部分で切らないことにはそこからの先への更なる転移が懸念されるという事からだ。
そういうわけでウナは原発(腫瘍の始まり)の部分である橈骨~肘関節~
上腕骨3分の2の位置で切除したのだった。
 
以下、実際の手術の手段だが気分の悪くなりそうな方はとばしていただきたい。それくらい聞くだけでもぞっとする手術だからだ。

 まず、肘関節から下を切除、そして皮膚と筋肉をはがし骨を露出させる。
上腕骨を適切な長さを残した位置で、糸鋸のようなもの使い、手動で切断する。骨の断端を包める長さを残し筋肉と皮を切除。筋肉の端と端を集めて内部で縫合、皮膚を被せて表面を2重に縫合する。
これがウナに行われた一連の手術である。


 初め、ウナが3本の脚で立ち、歩くことが出来たことに動物の野生の力を垣間見た気がして感動したし、うれしかった。
しかし、時間が長くなるとうまくバランスをとることができず、同じ姿勢を保つことはやはり難しいようだ。
それに残った右前脚は左前脚の分の負担を負わねばならず、大きな体にしては細い手首への負担がとても気になった。
犬は、その
体重の70パーセントが上半身にかかるといわれている。特にこのロットワイラーと言う犬は、画像からわかるように、頭が人間並みかそれ以上に大きく肩~首にかけての発達が著しい。ウナは脚の痛みを訴え始めてからは特にダイエットを進めていたが、手術当時でも42kgくらいはあったと思う。
ということは
30kg前後が前脚に、そして現在はその全てを右前脚一本で支えなくてはならない。人間が一本の手で腕立て伏せをしようとするときのあの手首への負担を考えれば容易に想像がつく。

 生きている以上、誰でも食事・排泄をするわけだが、なにしろ3本足では同じ姿勢は難しいし、手首への負担の軽減と、そのバランスの危うさから常に人間が2人で補助する必要があった。

ただウナは今もだが、食欲がまったく落ちない。先生は
「(病気でも)頑張る子は食欲があるんですよ」仰られた。
ウナはうちで産まれ、育った子だ。
幼名は「お嬢!」。
それはお嬢様と言う意味ではなく、
勝気で自我が強く、愛らしいそういうウナの性質から自然とついた名だった。
ウナは気丈、頑張る子だと私も信じている。

<次回へ続く・・・>
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20051026日(水)
ウナのこと-断脚手術-

手術当日のウナ。痛みに疲れ、あきらめの表情なのか。


退院当日のウナ。
左肩の周囲の毛を大きく刈られて、縫合された後が生々しい。
黄色い襟巻きの様なものはエリザベスカラーと言って、傷口など患部を舐めないようにするために装着されている。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は、事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 <前回からの続き>
 背筋が冷たくなる思いで帰途につき、帰る頃には冷たい脂汗で体中の筋肉が強張っている。報告するも、イライラと待っていた父は
「本当か?嘘だろ?」とそればかりを繰り返した。帰宅してからすぐさま私はコンピューターにかじりついていた。私のこれまでの人生ではまったく縁なく過ごしてきた言葉「骨肉腫」と意図せず向き会わねばならなかった。
 そこからわかったこと、
骨肉腫に治癒はない。断脚しても長くは生きられないといっている文献が多いということ・・・・

 夜になり院長先生から電話が入る。先ほどの担当医師の判断が間違いであって欲しい。だが院長先生は
「残念だが骨肉腫に間違いないと見てよい、出来るだけ早く断脚するのがウナの為」と仰られた。
猶予はない、なぜならばリンパ腺に乗ってどんどん別の骨や内臓などに転移する確率が高くなるからだと仰る。
(後々になってわかった事だが、本当は多臓器などへの転移は異常を訴え病院に駆け込む頃にはもう手遅れの場合が多い。断脚は一時的に激痛から開放し、長くない残りの生活を少しでも快適に過ごさせてやる為に他ならないとのことだった。)
 いずれにしても原発腫瘍の部分を取り除かねば転移はそのスピードを上げていくだろうし、骨肉腫というのは相当痛いらしい、犬は本来痛みなどへの順応性が高く、少々の痛みなら慣れてしまい感じなくなるというが、こればかりはかなりの激痛で常に骨が折れている状態と同様だという。実際切らずに放っておけば事実上骨折してしまい歩行はおろか、負重出来なくなるという。

 しかし当時は、検査日から即日病名が判明、翌日には手術を実施する必要があると言われ、
私たちはまさに混乱の中にいた。
 先生方は骨肉腫と言うが、それはレントゲン結果からの診断であり、本当に骨肉腫だと断定できるのは、病理組織(腫瘍があると思われる原発の部分)から骨片を取り出してそれを病理組織検査に出すしか方法はない。要するに一度皮膚を切り、開けてみて骨の一部を削り取り、また閉じる。そして検査結果が出るまで1週間程度待つということだ。それは返ってリスクが大きくなる、と先生は思われたらしい、というのは時間を無駄にすること、ウナの腫瘍は骨肉腫の見本のような影を呈していたから。

私は夜通し泣いた。

 翌日、手術の日。
再度頂いていた薬が効いて痛みが大幅に減り、散歩も出来た。
 ウナが4本足で歩くのは本当に今日が最後なのか?ウナのこのお手をした左手、「ちょうだいちょうだい」をしたこの左脚は切り離されてどこへ行ってしまうのか、なかなか切らせない爪の一本一本までが愛おしく、悲しかった。ウナが勢い良く走る時、動きに合わせて耳がひらりひらり揺れる映像が浮かんだ。

 私自身は出発前からウナを直視することが出来ず、祖母の居る自宅で待機することにした。それでも電話で何度も連絡しあい、病院に着くまで家族中で問答が終わらなかった。ウナだけがおとなしくあきらめの表情をしている。
手術することが本当にいいのか?先生はウナの命を一日でも長くするためと仰るが、
一度骨肉腫に罹ったらはそう長く生きられないと言うではないか。それならこのまま、痛み止めでだましだまし過ごし、生まれたままの姿で死なせてやりたい、その時、家族みんながそう思った。
だが院長先生の話を聞くと、気持ちは固まった。
このまま切断せずにいても痛み止めもいづれ効かなくなり、激痛に苦しむことになる。脚は腫瘍により腐り最後は脳まで侵され、もがき苦しんで死ぬ、今切ることが少しでもウナの寿命を長くしてやれることに繋がるのだ、とそう仰られたのだ。

 手術は医師が揃うのを待ち、深夜に開始された。当然全身麻酔で2時間半に及んだ。後は手術中にウナに異変が起きません様にと祈るばかりだ。

手術が無事終了したと連絡が入る。
ウナは手術後、うっすらと麻酔から目を醒ましたところで、両親は帰宅の途に着く。いつものように運転する
母は帰り道でオートバイを轢きそうになったという。家に上がるなり、術後のウナの様子を聞く。母は、
 
「ウーちゃんて結構肉付きがいいのね、毛を(手術する部位)剃ってるんだけど真ん丸くてハムみたいだった・・・」
といった。断腸の思いで受けた大手術の後でするコメントとしてはかなりおかしい。
母がいかに動揺し、一時的だが極度の緊張から少し開放されたことが伺える。

 とにかくは終わった。ウナの性質を考えて
早期に退院して自宅療養に移行することになっている。早くウナに会いたいが脚のなくなった部分を見るのが怖い。何より、出産時にやむを得ず帝王切開した後の蔑むようなウナの冷たい視線でまた見られたら、とそれが怖かった。
 
 
3日後にウナは退院、帰宅してきた。迎えに行ったが我々が入院している犬たちの居るケージの並ぶ部屋に入る前から、ウナは3本足で立ち上がり、全ての感覚をピーンと研ぎ澄まして我々を待っていた。
聞けば手術翌日からウナは立ち上がった、気丈な犬だと院長は褒めた。
それでも長くは立っていられない。人間2人で抱えて車に乗せる。
先生方、看護師さんたちに見送られ、ウナが手元に戻ったうれしさで一杯になった。
私は伏せの姿勢でも安定しないウナと共に、ワゴンの後ろの広いトランクスペースに横になった。患部は乾かすためにガーゼの一枚も当てられていない。初めて見るものすごい傷跡。
改めてショックを受けた。でもその時はまだ、
治らない病3本足の大きなウナを抱えての介護生活がどんなものであるか想像することさえしなかった。

<次回へ続く・・・>

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20051021日(金)
ウナのこと-やっとの検査-

検査後、とりあえず痛み止めを服用させる。数時間で痛みがとれ、こうして両足を床につくこともできるし、短い距離だが散歩もできた。薬を服用すればこんなに普通なのに、本当に手術してしまうことが正しいことなのか?
*「ウナのこと」のシリーズ日記は、事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 <前回からの続き>
 痛みが出て、通院、痛み止めの薬の服用しばらくして良くなる・・・これを2回繰り返した。その間、獣医師からの警告らしきもの「検査しないとまずいかも」的な発言はなかった。
家族のひとり、というかウナの本当の飼い主・父がウナに麻酔をかけることを極端に嫌ったから、医師も強くは押せないとは感じていたのだろうと思う。
 
ペットに癒しを求める時代、犬を飼うことは今やかなりのブームで、小型犬中心に多くの家庭で飼われている。きっとこれまでには飼い主と獣医師のただならぬトラブルも多く発生してるだろう。例えば麻酔・検査をを獣医師が薦めた麻酔によるショックなどの弊害により、悪化あるいは死亡飼い主は獣医師を告訴・・・など。
獣医師も下手に発言できない時代なのはわかるが、それでも人間の医者なら医者個人としての良心にのっとって、そしてプロの判断と見解による最優先する道・方法を薦めてみるのではないか?と後々になって思った。
それとも、ただホントに見抜けなかっただけか・・・?

 とにかくウナは痛みに耐えながら原因もわからず、人間の都合と思い込みで痛み止めだけで対処されていた。
そして薬が切れた次の日、
3回目の痛み発生。ここのところかなり短い距離にしていた散歩の途中でもう歩けないと言う。立ち止まり、一生懸命立ち上がって前足を私にかける・・・こんなしぐさはおやつを強くおねだりする時以外では殆ど見たことがなかった。ウナは必死に
 
「お姉ちゃん、もう歩けない、痛いよ!抱っこして!」
と叫んでいた。家まであと100m、大きなウナは私一人ではとてもじゃないが担げない。父と二人で上半身と下半身を分担して抱えて帰った。もう限界だ。
ウナのこの脚の異常の原因を調べなければ
大変なことになるかもしれない。
 あれだけ「ウナは大丈夫だ、ウナに限ってあるはずない、麻酔とレントゲン検査なんてウナに負担をかけるだけ損だ!」と取り合わなかった父も、ウナの尋常でない
抱っこおねだりを目の当たりにして、さすがに折れた。

 レントゲン、いやどうせ麻酔をかけるなら一気にCTを取るのが二度手間でなくていいかもしれない。聞けば予約して即日で検査できるという。予約。
当日行ってみるとCTなら多少時間がかかるし、麻酔するので入院してもらうという。電話で話した医師とは別の医師だ。ちょっと話が違う。
ウナは生まれてこの方父と母が居ない場所でに寝たことがない。しかも一緒にこの嵐をくぐり抜けてやりたい時に、麻酔からさめたウナを一人病院に残してはいけない。親バカといわれても本当にそう思うのだから仕方ない。
 いろいろ獣医師とともに試行錯誤した結果、とりあえずレントゲンでも結果は出るかもしれないので、
麻酔をせずに家族(私と母)が防被爆服を着てレントゲン室に入りウナをうまく押さえる、例外的にこの方法が許された。
犬はあの診察台に乗るだけで緊張するものだ。人間だって消毒液臭い診察室でまな板の鯉の様に「そこに寝てください」と言われるだけで腹に力が入る。
でもどうにかウナを人間4人がかりでうまくなだめすかして落ち着かせ、押さえつけて撮影することに成功した。
 
無麻酔レントゲン撮影成功にウナ含めた我々3人は安堵し、待合室でその達成感に浸った。深刻かもしれない結果を待っているという自覚はどこかに飛んでいた。父ではないが、「ウナだから、最後のことろでは大丈夫」だろうと思っていたのかもしれない。

 再び診察室に呼ばれた。
壁の照明つきの掲示装置にウナの両前脚のレントゲン写真が照らし出されている。
医師は笑顔もなく、言葉少なに見えているものをそのまま説明する。
素人目にも左脚のレントゲンに異常があるのが見て取れる。
その側面がまっすぐでないのだ
 左脚の
橈骨(とうこつ)内側に、あの子供がお絵かきで太陽を描く時のような光の文様、ギザギザした波のような光の形のようなものがモヤモヤと映っている。サンバースト(太陽の光線)というらしい。
医師は言葉少ななので、こちらから一つ一つ言葉を選んで慎重に質問し、確認した。医師の回答を纏める。
ウナの脚は骨肉腫に侵食されていた。
サンバーストの形は骨肉腫の時の特有の見え方らしい。骨がガン細胞に侵食されて肉のほうへ膨らみ、はみだして筋肉を圧迫するせいで激痛を感じると言う。
信じられない、信じたくない事実の露呈に呆然とした。

医師は今晩、同院の獣医師達を集め見解を纏めて報告する、
皆なでこれが本当に骨肉腫かどうか最終的に判断するが、ほぼ間違いないといだろうとも語った。

最後にもう一度確認する。骨肉腫の場合
、「治療の手段は?」
「断脚、それしかない」

他に方法はない、判っていても確認せずにいられなかった。
断脚、ウナのこの脚を切り落としてしまうなんていいうことが本当にできるのか?ウナ自身は、なんと思うだろう?この事実をウナに言えない・・・

<次回へ続く・・・>

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20051016日(日)
ウナのこと-見解-

画像は今年、桜の季節。この後くらいから痛みが出始める。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 <前回からの続き>
 先日に日記で少し触れたが、ハワイに住む妹はウナの母親、ティカの飼い主であり、ティカの痛めた後脚に人工の前十字靭帯を入れる手術を受けさせた経験をしている。
 辛い思いをした彼女は、獣医だけに任せることなく、自ら獣医学の本などで色々と勉強した。
ウナの症状を聞いてやはり調べてみた彼女は、そこに
骨肉腫という最悪なケース見つけ伝えてきたわけなのだ。

 ウナの左前脚の痛みと腫れ。ウナが超大型犬(最高時は47kgあった)であること、食事や生活習慣から来るもの
あるいはオーバーユースから来るものであれば、基本的に両足にその症状は出るはずだというのだ。
ウナの痛みは片足のみだ。

 骨肉腫になる要因は実際にはわかっていないらしいが、
過去のデータから四肢の骨に常に大きなストレスのかかる大型犬、そして過去に骨折経験のある脚に出ることが多いとされている。
それでも発症率は全体の1~2%というから、その不幸で希少な例の中にウナが入ってしまうとは考えにくいし、本当に想像すらもしたくなかった。

 我々の気持ちに反し、次第に痛みが強くなる不安から検査などはともかくとして、まずは医師の診察を受けることにした。
 骨肉腫の疑い・可能性を聞いて見る。先生は、
 
「もちろん考えられなくないですが、その発症率から可能性は低いと考えてもよいのでは?
あの階段(ウナはうちの急な階段を毎日何往復もしていた)がストレスになっているのではないでしょうか。
犬はその体重の70%が上半身にかかっているし、四足歩行の為に人間よりも昇降時の身体の傾斜はきつくなり、前足にかかる負担は大きいはず。」

 特に自宅の階段は下りて正面はと左ては壁、すぐに右に曲がらねばならない。体重もあるためにすごい勢いで降りつつ右方向へ。当然左脚への負担は右より大きくなる。
 見たり触ったりする検診だけでは全てが想像でしかない。これ以上のことを解明するのであれば、やはり全身麻酔をかけた上でX線写真を撮るなどの検査をしなければわからない。身体に大きな負担(麻酔)をかけてまで検査すべきかどうか。医師は骨肉腫になっているとは考えにくいだろう、と仰られた。この言葉を信じたい。
とりあえずは長期型の消炎剤注射と飲み薬、を頂く。

 こうしてしばらくすると痛みが軽減されたようだ。ともかくは一息ついた。痛がっているのをただ見ていなければならないのはとても辛いもの。
 でも、この
腫れは何故取れない?捻挫などが治ったなら腫れはとっくに引いてもいいのではないか・・・?
後味の悪い疑問は残った。

<次回へつづく・・・>

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2005104日(火)
ウナのこと-はじまり-

向こう側が左脚になるわけだが、手首あたりから上が少し膨らんでいるのがわかる


正面から。手首周辺から橈骨内側に腫れが認められる。

*画像の撮影はいずれも手術当日。
*「ウナのこと」のシリーズ日記は、事の始まりから遡って書いています。
ウナは現在、まだ闘病中ですが頑張っています。応援してくださる皆さん、ほんとにありがとう!


 <1025日分からの続き>
 ウナの脚が「ちょっとおかしいな」と思い始めたのは今年の4月の終わり頃でした。

 ウナはいつも朝と夕方散歩に行き、夜は両親と一緒に寝るウナはお風呂場で綺麗に脚を洗う。もともと水嫌いだけど、この頃益々「脚洗い」が嫌いになっていきました。特に左脚をつかもうとすると怒る怒る・・・。
今思えば、それがはじまりでした。
そして散歩の時に遠くに行きたがらない、ビッコを引くような動きをするようになる。
そして脚を触ると、骨そのものの変形が感じれらるようになってきた。
解剖学的に言うと手根骨上部の橈骨(とうこつ)、肘関節までの間(人間に置き換えると手首から肘までの間の骨で、手のひらを下にした時に身体の内側にくる骨)の内側の部分で骨そのものが少しずつ膨らんできているような・・・。
ウナの母親を飼っているハワイにいる私の妹は「大型犬特有でたまにみられる
[骨肉腫](骨にできるガン)を疑える、検査を受けるべき」だと言った。
でも、人間と違い犬はレントゲン検査などでも全身麻酔を施さねばならない。
 欧米などから比べると2030年は遅れていると言う日本の獣医学、全身麻酔をすることはまったく危険がないとは言えない。
「ウナに限ってあるわけない!」と楽観視したい気持ちも手伝うし、全身麻酔についてはなかなか家族の中で意見がまとまらなかった。


<次回へつづく・・・>

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2005年10月2日(日)
バリ島の爆弾テロ
 1日、再びの爆弾テロ、またクタ地区とジンバラン地区の2箇所、合計4回の爆発があったとニュースで知りました。
前回の悲しい大規模爆弾テロの時、私はバリにいたので今回の事を知り、その悲惨さを思い出さずにいられません。
犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
テロに屈せず、平和な、そして我々の愛する元のバリに姿に一刻も早く復興されますように。
また、バリはその力を持っていると信じます。


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2005925日(日)
日記、リニューアルして復活しました-


今年の5月頃のこと。ウナはちょっと太り気味なもののとても元気でした。


手術当日、病院へいざ出発前に自宅待機中に撮ったもの。上目使いで人間達の常ならぬ様子をを伺っている。

 気まぐれに読んでくださっている皆さん、お久しぶりです。
2ヶ月間のご無沙汰をしてしまいました。

さて気分を入れ替えてプチ・リニューアル/再開したものの、どこから書き始めればいいやら・・・迷いますね。
ただ、当分の題材は決まっています。それは私、店主が日記を書く気力を奪われた出来事についてです。

 画像の通り、我が家の大切な家族の一人、愛犬ウナの事です。

 そう、ウナは724日のこの晩、手術を受けました。
それも左前脚を断脚(切断)する手術

手術前、ウナには想像もつかない何らかの出来事が自分の身に起きることを察知したのか、あきらめと服従を表して、むしろ人間達よりも落ち着いていました。

このウナの断脚にいたるまでの経緯と、家族の思い、現在の状況を出来るだけ詳細に思い出しつつ書いていきます。愛犬家の皆さんとペット達のこれからに事例を示すことで少しでもお役に立てればと思います

<次回へつづく・・・>

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